いきいき健康
500平方メートルの畑に数十種の野菜
作って、食べて幸せ 名古屋市 李基和さん(80)
在日1世である李さんは3歳の時、故郷を後にして日本に渡って来たという。23歳の時、愛知県瀬戸市で祖国解放を迎えた李さんは、朝聯結成当時から愛国運動に貢献、1998年愛知体育協会会長職を退くまで現役でバリバリ活躍してきた。 一昨年、かねてからの願いがかない、第2回総聯同胞故郷訪問団で故郷の慶尚南道宜寧郡を70数年ぶりに訪問。生まれ育った故郷の地だが、思ったより実感がわいてこなかったという。そこには幼かった頃の面影はなかった。 「泣くまいと決心したけど、甥の涙にくれる姿に自然と涙がでたよ」 愛国事業と故郷への熱い思いを馳せながら、異国の地で頑張って来た李さんが畑をやり始めたのが20数年前。当時、小柄な背丈ながら体重が75キログラムあった李さんは年齢と共に、体の衰えを感じ、それを克服するために畑仕事を始めた。 「体重も結構あったせいか、階段を昇り降りするのに当時は息切れしたよ。体重を自然に落とせる健康法はないかと思いついたのが畑仕事だった」 知人の日本人から畑を借りて小規模で始めた。農業に関する特別な知識をもっていたわけでもなく、もっぱら、本と独学で自分なりの畑の手入れ方を考案。ほとんどが我流で肥料は鶏糞だけ使う。とりあえず、最初にサンチュ、ケイッパリ、唐辛子など朝鮮料理に使う野菜を中心に栽培。「当初は、芽が出たのも分からなかった」と苦笑いする。 今は、培った経験でどの野菜の芽がいつ出るかを計算しながら、より効果的な栽培方法を模索している。 畑は家から車で10分。夏は、早朝、冬場は日の出前に畑に行き、作業した後、家に戻る。シャワーを浴び、食事を済ませ会社に出勤するのが日課。会長職を退いた後、本格的に始めたが、畑をしてなにより嬉しかったのは、ご飯が格別においしくなったこと。「朝1番に一汗流した後、妻が作るご飯はとてもおいしい」と笑みを浮かべる。
畑仕事は体全体を動かしてやる重労働。土を掘る、種をまく、手入れ、収穫など全体の筋肉を動かす。体のどの部分だけは使わない、というわけにはいかない。そのおかげもあって今の体重は61.5キログラム。当初50平方メートルだった畑も今は、500平方メートルの「城」に様変わりした。 季節ごとに、大根、白菜、小松菜、ほうれん草、みずな、サニーレタス、ねぎ、キャベツ、たまねぎ、ナス、キュウリ、そら豆、えんどう豆、トウモロコシ、ジャガイモなど、その種類は数えきれない。一方、竹の子、柿、ビワ、梅の収穫にも余念がない。 畑をやる魅力について彼は、「健康管理によく、無農薬野菜だから安心して食べられること。歳をとってもボケない。あとは、種をまき、水をやり、芽が出た時の喜びはひとしお」と熱っぽく語る。 困っていることは、夜中に心無い者が畑を荒らすこと。対策に頭が痛いとか。 そんな李さんのモットーは、常に同胞の役に立ちたいということ。名古屋駅裏(新幹線口)立ち退き問題をかつて解決したこともあり、今でも地域の同胞らの李さんへの信頼はあつい。総聯支部に新しい委員長が赴任するたびに、彼をつれて同胞の家々を一緒に回るのも李さんの役目だ。 10年前に脳梗塞で倒れたが、幸いにも後遺症はなかった。「まだまだ元気。体が動く限りやり続けたい」。 「作る喜びと食べる喜び」―二重の喜びをかみ締める李さんは、今日もせっせと野菜という「孫」の面倒を見に畑へと向かう。(千貴裕記者) |