閑話休題

文明対野蛮?

「爆弾の下の人間の側に立て」


 テキサスの石油資本の代弁者ブッシュ米大統領いわくアフガンへの米軍の攻撃は、「文明対野蛮」、「正義対悪」の戦いであるという。

 空爆という皆殺しの軍事攻撃を「軍事目標のみ攻撃」などと言い換えても、民間人の死傷者は増える一方で、ウソはバレバレなのである。

 ブッシュの手先コイズミ首相も、テロ特措法などをひっさげて、親分の出兵に馳せ参じた。そして、超大国とその同盟国の硝煙弾雨で人々は逃げまどい、阿鼻叫喚の図が出現したのだった。加えて、国内の餓死者、飢餓者は100万人とも200万人とも言われる。

 アフガンの人々の命など、気にもかけていないブッシュが「正義」や「文明」を口にするだけでもおぞましい。しかし、この言葉どこかで聞き覚えがあるぞと思ったら、かの福沢諭吉翁が100年以上も前に同じ言葉を使っていた。

 福沢は1869(明治2)年にすでにその著書で朝鮮を「亜細亜洲中の一小野蛮国」などと切り捨てている。さらに朝鮮の軍事的な完全制覇を狙った84年の日清戦争を「文野(文明対野蛮)の戦争なり」として、日本の勝利に際しては「愉快とも有り難いとも云ひやうがない」(福翁自伝)と感激をあらわにしたのである。

 およそ有史以来、「正義」を掲げない戦争などなかった。他民族をじゅうりんし、略奪、殺りくして、それを「平和」と呼んだ大ローマ帝国の歴史。しかし、その大ローマ帝国も永遠ではなかった。

 朝鮮やアジアを侵略し、2000万人を殺りくした日本帝国主義も半世紀前に敗北したのである。

 「いまこそ、爆弾の下にいる人間の側に立たなくてはならない」(=「単独発言」角川書店・辺見庸氏)との主張に共感する。(粉)

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