NHK青春メッセージ

90年から8人、最優秀賞はじめ大活躍

朝高生は何を伝えてきたのか


 14日、東京・NHKホールで行われた「青春メッセージ02」に、関東甲信越ブロック代表として出場した東京朝高2年の徐慈美さんが審査員特別賞を受賞した。前身の「青年の主張」からリニューアルし、90年から再スタートした同イベントの参加資格は15〜25歳の若者。全国数1000人の応募者のうち、各地方ブロック予選で選ばれた10人前後が本大会に出場できる。その様子がテレビ、ラジオで生中継されることから注目度も高く、権威あるイベントだ。これまで朝高生は、90年から今回まで8人が出場しており、最優秀賞を受賞するなど大活躍している。彼らはそこで何をメッセージしてきたのだろうか(記事中の学年はすべて当時)。

今年の「青春メッセージ02」。本番を終え、記念写真を撮る出演者たち(前列左が審査員特別賞の徐慈美さん=東京朝高2年)

 リニューアル初年の「青春メッセージ90」には、朝高生として初めて広島朝高3年の河勝成君が出場した。タイトルは「改めて核について思うこと」。中学校まで日本の学校に通っていた河君は、朝高の老教師の被爆体験を聞いて衝撃を受けたことに触れながら、世界の人々が手を取り合って核廃絶を目指していかなくてはならないと訴えた。

 当時を知る教員によると、広島朝高では日本語の授業で「メッセージ」への出場を呼びかけた。日本の学校では同胞被爆者の存在すら知らされていなかったという河君は、強制連行されながらも民族差別を受けまいと自ら皇国臣民になる努力を重ねた末に原爆で弟を亡くし、自責の念にかられながら生きるその老教師の話に大きな衝撃を受け、どうしても話したいことがあると名乗り出たという。

 翌91年には北海道朝高2年の姜明殖さんが出場。「無意識のうちに」と題し、人種、民族、職業、容姿などによる差別意識を無意識のうちに持ってしまうことの恐ろしさ、在日同胞として差別される側の人間にさえこうした要素があることの恐ろしさを語り、1人1人がこうした芽を摘み取っていくために努力していくことが重要だと訴えた。

 翌92年に出場した神戸朝高1年の金有美さんのスピーチ、「お会いしませんか」は最優秀賞に輝いた。

 「朝鮮人はこの店に来るな」という書き込みを発端に、友だちとよく行く喫茶店に備えつけてあったノート上で朝・日生徒間の論争が起きる。朝高生は日本の朝鮮侵略によって存在することになった在日朝鮮人の歴史的経緯など学校で習った限りのことを書いて反撃する。だが、何ページにもわたる論争にとどめを差したのが「私たちに責任はありません。昔の日本人がやったこと」という書き込み…。両者とも現在のこと、これからの未来のことについて何も言っていないと気づいた金さんは、お互いを知るために会って、話し合いませんかと呼びかけた。

 テレビを見た高知の高校生が金さんに手紙を送り、お互いを行き来する交流に発展するなど、大きな反響を巻き起こした。

 94年には、インターハイへの参加が認められた喜びを、広島朝高サッカー部員である金成哲君(2年)が語った。金君は同年広島で開かれたアジア大会の標語「エバーオンワード(限りなき前進)」をタイトルにし、スポーツを通じたアジアの平和と友好を訴えた。

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 98年、審査員特別賞を受賞した大阪朝高2年の金倫朱さんのタイトルは「アンニョンハシムニカ―話し合いが喜び」。陸上部の金さんが各種の大会で日本の生徒と仲良くなる過程で、在日同胞への無理解を感じながらも話し合うことにより民族の違いを越えて通じ合うことができることを知ったと述べ、人との出会い、話し合いが楽しく生きる喜びにつながると話した。

 翌2000年、やはり審査員特別賞を受賞したのは、インターハイなどの活躍で知られる北海道朝高ウェイトリフティング部の朴徳貴君(2年)だ。「ただいま太もも70センチ」と題し、ひ弱だった自分がウエイトリフティングを通じて強くなった経験をユニークな語り口で披露した。

 昨年は東京朝高の許琴伊さん(1年)が「大きな世界地図がほしい」というタイトルで審査員特別賞を受賞した。結局、今回まで出場した朝高生は4人連続同賞を受賞したことになる。

 制服で帰宅途中の許さんはある日、デパートの食品売り場で知らないおじさんに「南北会談おめでとう」と握手され、団子まで買ってもらう。歴史的な6.15北南共同宣言にもあまりピンときていなかった許さんだったが、自分のことのように喜んでくれたおじさんに出会い、統一が近づいていると実感したという。そんな素朴な思いが共感を得た。

心をつかむ言葉の強さ

NHK番組制作局青少年・こども番組チーフプロデユーサー 石原真さん

 朝高生の応募は多い。地方ブロック大会まで残った子は相当数に上るだろう。さまざまなスピーチを聞いてきたが、スポーツで全国大会出場が可能になった頃から、内容が変化してきた気がする。

 ひとことで言うと、「普通の言葉」になってきた。以前は、日本社会に立ちはだかるさまざまな障壁の不当性を訴えるメッセージが多かった。今もそうした壁がなくなったわけではないが、目に見える壁が減っていくことにより、もっと別の次元、日常レベルの話が増えてきた。

 ただ、その中にも在日コリアンである自分自身としての主張があり、それに裏打ちされた言葉の強さがあるから人の心をつかむ。それが、朝高生がコンスタントに出場できている理由と言えるだろう。

 日本社会全般を見ると、とくに若者の間で言葉の弱さを感じる。そんな中、日常の自分の体験を通じて得た自分の言葉を持つこと、持てることはますます大切だ。今後も素敵なメッセージを期待しています。

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