医療−最前線
災害とボランティア
阪神大震災から今年で7年が過ぎた。当時、多くの在日同胞も災害にあった。今もなおその復旧が要求されるところである。
私が勤務する病院にも当時、同じ同胞の運営する神戸朝日病院(金守良院長)からの緊急要請を受けてボランティアを兼ねて医師と関係者が3陣に分かれて現地に派遣された。 当時、長田区で370床をもつ神戸市立西市民病院が壊れた事もあって、神戸朝日病院は現地で中核的な役割りを果たしていた。病院診療の主力陣はリハビリテーション室に布団をひいて連泊しながら不眠不休で診察にあたっていた。看護婦は普段着の上に予防衣をつけ患者さんに対応していた。 当病院から派遣された医師は、同胞たちの主な避難場所となっていた西神戸朝鮮初級学校の仮設診療所で1日所長を務めた。病状では精神的不安から風邪・腹痛・頭痛・不眠の訴えが主だった。 また、救急車運転の要請もあった。当時、大阪にある共和病院を拠点として同胞の救援物資と応援部隊である医療ボランティアの搬送が盛んに行われた。大阪・神戸間は通常は50分程度だが、当時は交通手段が麻痺状態で3、4時間かかったという。 現地に派遣された医療人たちは、病院の果たすべき役割の大きさ、とくに病院の存在が被災にあった人たちに与える精神的安心感などを被災地で再認識したという。 私の勤務する病院も86年に「東京都災害時後方医療施設」に指定された。災害など緊急時には同胞病院がお互いに連携を保つことが、より重要かと思う。(李秀一・医療従事者) |