それぞれの四季
「隣の朝鮮人」
李明玉
昨年の夏まで、同胞が経営する認可保育園の給食室で、パートの調理員をしていた。調理師のオモニがある日、老人施設で働いている知人が同僚について語っていたことを、何気なく話してくれた。その人の隣人は朝鮮人で、自分はごま油のニオイが嫌いなのに、早朝から匂うことがあるとぼやいていたそうだ。そんなことが気になるんですねぇ、と暢気に聞いていたのだが、あるとき「隣の朝鮮人」が、ほかならぬ私であることが判明した。
早朝からというのは祭祀の日だろうし、だとしたら、ニオイどころの騒ぎではない。深夜までかなりうるさいのだ。祭祀もごま油もやめられないので、直接言われないだけでもありがたい。 私は、けん制の意味も込めて、隣家の日本人に老人施設で働く人と知り合いであることを伝えた。すると少し声を落として、「あの人ね、北の人よ」。では私は、どこの人と思われているのだろう。どこから説明すべきなのか、逡巡の末に口から出たのは「ほう」という間抜けな声。ここは大阪だというのに、在日の歴史や現在というのは意外と知られていない。ただ、大抵知り合いがいて、丸ごと受け入れている、というのが多いように思う。スーパーでカードを作るときでも「あちらの方?」の問いに「在日朝鮮人です」と答える律儀な私なのに。きちんと向きあって説明したいが、いまだその機会に恵まれていない。 現在妊娠9カ月。産婦人科のカルテの表紙には「日本語OK」と大書されている。体重が増え過ぎだと眉をひそめる医者には悪いが、ニヤけてしまう。あなたより「日本語OK」かも。(主婦) |