取材ノート

根は一つのデマ記事


 朝銀問題を取り上げ、朝鮮と総聯指導部攻撃を狙った「週刊新潮」1月24日号の記事を読みながら、思わず苦笑してしまった。

 食うためには、いかなることもいとわないエセ・ジャーナリスト。彼らを意識的に抱え込み事実の追求など、はなから頭になく、部数の売り上げしか考えない出版社。「堕落、腐敗する日本のジャーナリズムの象徴」とは、そうした週刊誌の世界に早々と見切りをつけて独自に活動する友人の指摘だ。

 「新潮」の記事が昨年暮れの「週刊文春」(12月27日号)に掲載された、謀略以外の何ものでもない記事と同じ政治的背景の流れの中で取り上げられていることは明らかだが、それより以上にあきれ返ってしまうのは、大阪弁で表現すれば「ほんまに取材したのかいな」ということに尽きる。

 というのは、「総聯最高幹部の亡命うんぬん」と書いた「文春」の記事が掲載された時点、正確にいえば「亡命うんぬん」の噂を公安などが流布していた昨年12月上旬すでに、「新潮」が掲載した記事の内容も同時に流されていたからだ。

 つまり、「新潮」「文春」の記事は根をたどれば一つであって、「文春」がそのうちの一部を先に掲載、「新潮」は時期をずらしただけのことなのだ。

 「談合。『文春』が先、その次に『新潮』と分担したのだろう」とは、前述の友人の指摘だ。

 日本のマスコミと、かつてのKCIA(韓国中央情報部=現在の国家情報院)のゆ着、いやKCIAに買収、操られ、彼らの提供する情報をもとに反朝鮮・総聯攻撃を執ように繰り広げた実態・構図を暴いたマスコミ評論家の松浦総三氏は、その代表例として「文春」などを上げたことがある。

 一連の記事の背景には、このような長い時間の経緯がある。同様のデマは確実に再度、流布される。右往左往すれば彼らの術中にはまるだけだ。(正)

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