若きアーティストたち−8

バレリーナ 高美華さん

東洋の白鳥、米国に舞い降りる

朝高からモンテカルロ、ボストン、ニューヨークへ


 東洋の白鳥、TPACに舞い降りる―。

 3月22日付、米・キャピトル・ジャーナル紙は、プロのバレリーナである高美華さん(26)が、トピーカ・メトロポリタン・バレエ団に加わってトピーカ舞台芸術センター(※TPAC。トピーカは、米・カンザス州の州都)で「白鳥の湖」を踊ることについて触れた。そして、そこには「ふたつのストーリー」があると伝えた。ひとつは、作品の内容でもある、魔法をかけられた王女が昼は白鳥、夜は少女になるというストーリー。もうひとつは、新しい国に移り住み、自己を犠牲にしながらわが子により良い世界を与えようとする移民の両親の物語。同紙は「しかしそれは、移民の国・アメリカではなく、高の祖父母が朝鮮から移住した、より閉鎖的な日本という国で起きた物語である」と加えた。

 彼女の母親は朝鮮舞踊の講師、父はクラシックギターの弾き手だった。自身が芸術の道を追求することを犠牲にして、両親は子供たちにその機会を与えようと懸命に働いた。そんな両親の元で高さんは幼い頃から西洋のバレエを学び、同時に朝鮮舞踊も習ってきた。

 「おなじ舞踊といえども、バレエと朝鮮舞踊とでは様式と表現法が多いに異なる。チュチュ(バレエの衣装)をまとったバレリーナとは違い、朝鮮舞踊家は手と顔以外はほとんど肌を見せない。西洋のダンサーが全身で表現するのに対し、朝鮮舞踊は手と顔で感情を表現する」

 プロのバレリーナになるべく、朝高在学時から海外留学の機会をねらっていたという高さんは、卒業後、モンテカルロのバレエ学校に単身留学。1年後にはボストンへ、その後はニューヨークに移り住んでバレエを学んだ。「朝鮮学校ではオール10の最優等生だった。でも、日本を離れて英語とフランス語だけで生活するのはとても大変だった」。そんなとき思い浮かんだのは在日1世のハラボジのこと。

 「1世の苦労を身を持って経験しているような気分になった。もちろん時代は違うけど。済州島出身の祖父は、生前、東京都内の一等地に家を買った。今考えても、私がニューヨークのマンハッタンに外国人として土地や家を買うのは楽じゃない。きっと日本でだって無理でしょう」と、大きな目を細めて笑う。

 バレエ団を探してオーディションを受け、契約が切れたらまた別のバレエ団を探す。自分に合った職場(バレエ団)に出会うまで、それは今後も繰り返されるという。「辛くても自分で決めた道だから、他人のせいにはできない」と潔い。1年休んだら二度と戻れない厳しい世界。プロの道は甘くないけど、後輩たちの励みになりたい。相談があればいつでも応じる」。

 黒い瞳のバレリーナを、米・キャピトル・ジャーナル紙は次のように伝えた。「高は日本で生まれ、国際舞台で鍛え上げられた朝鮮出身のダンサーである。彼女は舞台の上で優美を見事に表現した。高はしばしば、腕、手を脚、足と同様に駆使しながらエレガントに舞った。そして彼女は、体と同じようにはっきりと顔の表情を用いた」と。
(金潤順記者)

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