取材ノート

朝鮮人強制連行、全容解明最終段階に


 日本の植民地支配時代に発生した朝鮮人強制連行に関する新事実が最近、続々と明らかになっている。

 主なものだけを取り上げても、強制連行を計画・実行した当時の厚生省の会議で強制連行を「拉致」と報告していたこと、旧日本軍の細菌部隊(731部隊)の人体実験・生体解剖のために朝鮮人を使用していたこと、「韓日協定」締結(1965年8月)に至る過程で南朝鮮側が請求した強制連行者に関する資料(名簿)を日本側が隠ぺいしていたことなどがある。

 戦争末期に作られた旧日本軍の地下工場に連行されたことを示す公文書も発見された。労働省に保管されている、兵庫県に連行された朝鮮人名簿(1万3477人)のうち北出身者(3787人)の90%は44年9月からの徴用形式で日本に連行されたことが判明。さらには同時期に「農耕勤務隊」の名目で行われた強制連行被害者のほとんどが北出身であったことも明らかになった。北に生存者もいる。

 朝鮮人強制連行は、募集(39年〜)、官あっ旋(42年〜)、徴用(44年〜)の形態で実行されたが、炭鉱やダム建設など募集、官あっ旋時期のことは、在日同胞や日本市民の手により事実関係がかなり明らかになっている。現在の調査は、戦争末期のことに集中している。すでに指摘したように連行者のほとんどが北出身というのがその特徴と言える。

 真相調査は全容解明に向けた最終段階に入っている。これからは、過去の問題は過去の問題として引き続き追及し、歴史の史実を後世に伝えていってこそ、朝・日間は近くて近い国になっていくことを示唆している。こうした過去の問題について日本は、平壌宣言で「朝鮮の人々」に対して「謝罪の意を表明」したが、それを具体化していく過程で日本の誠意が問われている。過去の問題と、平壌宣言の意味について改めて考えさせられる。(基)

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