孝古学者、騎馬民族説

高句麗に親しみ 主席と親交結ぶ

江上波夫氏死去


 考古学者の江上波夫さんが11日、死去した。享年96歳。江上さんは朝鮮民主主義人民共和国に何度も出かけ、金日成主席と4回会うなど、温かい親交を結んでいた。主席逝去の訃報の際には、「悲しいことだが、残された人々がスケールの大きな、夢のあるエスポス(英雄叙事詩)の国造りを引き継いでほしい」と励ましの言葉を朝鮮時報に寄せてくれた。

 「日本における古代大和朝廷の創始が、大陸から朝鮮半島を経て日本にやってきた騎馬民族によって達成された」―江上さんは48年いわゆる「騎馬民族説」を発表して、敗戦直後の日本史学界にセンセーションを巻き起こした。当時を振り返って記者にこう語っていた。

 「当時は、右からも左からも大変な批判を受けたもの。『右』の人は、天皇家の祖先が、とんでもないと。『左』の人は、発想は大胆だが、実証性がないと。しかしこの半世紀の間に、予期しない新資料の発見によって私の説は、いよいよ全面的に裏付けられることになった。望外の幸せです」

 江上さんの学説は、ユーラシア史、西アジア史、東洋史、日本古代史といったどの領域でも、雄大なスケールと綿密な実証とによって日本の考古学にはかりしれない影響力を及ぼした。

 その尽きぬ情熱と行動力は、晩年になっても衰えを知らなかった。85歳の時に朝鮮に2回、南朝鮮に3回、そしてシリア、モンゴル、中国にも出かけて、遺跡、遺物の調査に当たった。極寒の大陸奥地から猛暑の砂漠まで、文字通り世界を駆け巡るめざましい活躍ぶりに驚いた。「体調を崩しても、砂漠で自動車に揺られていると不思議と治ってしまう」とケロッとしていた。

 92年秋には、朝鮮の鴨緑江沿い、慈江道に点在する高句麗の積石塚を森浩一同志社大学名誉教授と一緒に調査した。もちろん外国人学者としては初めての現地入り。

 「金日成主席のお声がかりで実現できたと聞いた。大雨が降って山が崩れ、水没してしまった道なき道を軍隊が通れるようにしてくれ、感激した」と江上さんは喜んでいた。この現地調査ではおよそ30基の積石塚を見た。「山陰地方に多く見られる四隅突出形の墳墓もたくさん確認した。今、発掘が盛んに続けられているが、こうした墳墓は100基から200基はあるということで、全容が分かれば日本にも大変なインパクトを与えることになるだろう」と予測していた。

 これによって朝鮮半島から多くの人々が幾たびにもわたり日本に渡来してきたことが、ますますはっきりしてきた、と目を輝かしていたのを思い出す。

 「高句麗は、騎馬民族が造ったものだから、僕は親近感をずっと持っている。歴史的な英雄が、強大な国家を築き、立派な文化を創造した。そこが朝鮮の金日成主席と似ている点。政治、軍事、国際性に富む高句麗の末裔である北。農耕の民として経済活動に適した南。歴史的な視点から見ても、南北朝鮮がお互いの利点を尊重しあって、連邦制による統一国家をつくるべきだと思う」

 「騎馬民族というのは、好奇心が旺盛で、文化的なことが好きなんだ。働くのが嫌いでね、そこが僕と合うんだ」。偉ぶらず、飄々として、壮大な歴史のロマンを追いつづけた一生だった。心からご冥福を祈りたい。(朴日粉記者)

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