和解、団合の現場-北から南から-

「一度行けば考え変わる」

江原道〈下〉


南北唯一のルート

係員から説明を聞く金剛山観光参加者たち

「現代束草港旅客ターミナル」

 6.15共同宣言発表に先立つこと2年。98年11月18日から南北和解・協力事業の先駆けとして、海上ルートを使った金剛山観光事業が開始された。今年で満4年を迎える。

 当初は、鄭周永名誉会長(故人)率いる現代グループの現代商船が4隻の船を使用し東海港を起点に営業を始めたが、2001年7月からは現代峨山に引き継がれ現在は1隻の船を使って2泊3日、3泊4日の2つのコースで行われている。

 取材団はその拠点、観光船・雪峰号(97年建造・8900トン、720人収容)が発着する束草市の「現代束草港旅客ターミナル」を25日、訪れた。このターミナルからは、ロシア・沿海州を経て中国・渾春から白頭山を巡る観光も実施されている。

 朝10時、前日夕方からの雨も止み、カラリと晴れあがった秋空の下、ターミナルにはこの日、正午に同港を出発して金剛山観光に向かう市民たちが三々五々、集まり始めていた。

 500人位は収容可能と思われる旅客ターミナル。その玄関前広場に隣接する駐車場とを区切るネット状になった鉄線の塀に「京義線と東海線鉄道、道路連結のための装備搬入を祝賀する 現代峨山職員一同」という横断幕が掲げられている。

 観光事業とはいえ、現在唯一、南北をつなぐルート、その最前線に来たのだという実感が沸く。

 市民たちはそれぞれの居住地域、職場などグループ別に観光に参加しているという。老若男女、すべての年齢の人々の姿が目に入ったが、どちらかといえば2、30代の割合が多い。なかにはヨーロッパの人たちなのか、外国人の姿も見られた。

 このターミナル開設以降、現代峨山の束草事務所所長職にある金松哲さん(49=音訳)から、事務所応接室で金剛山観光事業の現状などを聞いた。

北側で2年余生活

「金剛山観光事業には強い自負心を持っている」と語る金松哲さん

 金さんはこれまで一貫してこの事業に携わり、当初には関係施設などの建設のために金剛山で北側関係者とともに2年3カ月もの間、生活した体験の持ち主でもある。

 「束草港を出発すると、約4時間程度で北側の長箭港に到着する。今日の昼に出発すると夕方には到着する。観光客たちは今晩は一泊して、明朝から金剛山に向かう。今は今夏の台風による水害で万物相、海金剛のコースは被害が甚大で中断。九竜滝―三日浦のコースだけが可能だ。料金は船宿泊の場合45万ウォン、海上ホテルの場合54万ウォン」

 「観光客は開始当初、離散家族とその子どもたちがほとんどで、社会的な関心も高く順調だった。しかし、すでに承知だとは思うが、会社そのものの経営危機、割高な料金設定など悪条件が重なって困難に陥った。現在は修学旅行の生徒、65歳以上の北出身者、社会に功績あった人々が政府の支援もあって大半、全体の60%以上を占め、事業開始以来の利用客は47万人に達した」

 南北共同事業だけに利益はそれぞれ折半。長箭港には4隻の船が停泊できるだけに、将来的には1000人収容の海上ホテルの建設など、事業拡大も計画しているという。

緊張緩和にも一役

 金さんから一応の説明を聞いた後、雪峰号の船内を案内してもらった。

2等航海士の鄭珠英さん(左)と文建宇さん

 建造からまだ5年しか経っていないとあって客室、娯楽室、食堂、みやげ物売り場、そして通路などいずれも船内は清潔。各フロアの職員たちもサービス業だから当然といえば当然だが、応対は丁寧で私たちの姿を見つけるとすぐさま「アンニョンハシムニカ」という挨拶が返ってくる。

 船の中心、2階の操縦室では2等航海士の文建宇さん、そして航海士としては珍しい女性の鄭珠英さんたちから話を聞くことが出来た。

 文さんによると、船は出港後、まず12マイル(1マイル約1.6キロ)沖合いまで直進し、その後左進。徐々に陸地から6マイル地点の海上の軍事境界線まで下り境界線を通過(所要時間約2時間半)。そこからそのまま左進して、約1時間半の航程で長箭港に着くという。全行程61マイルだ。丁寧に海図を開いて説明してくれた。

 「軍事境界線を挟んで、南北双方に1カ所ずつ海軍の基地がある。船から見えますよ。基地の存在は軍事機密だが、この地帯は金剛山観光の実現以降、無力化されたも同然。単に観光とはいうが、結果的にこの地域の緊張緩和に一役買ったということになる」と金さん。

 横でこの話に耳を傾けていた鄭さんは、今年初めに結婚したばかりの新婚ほやほや、26歳。「初めて北の地に降り立った時には、これまで受けた教育のせいか怖いような印象を受けた。しかしその後、航海を重ね会話を交わすごとに、同じ民族なんだと私自身はむろん、北側の人たちも確実に変化していくのがわかった」。今はこの仕事を「誇りに思い、やり甲斐を感じている」という。

正しかった選択

 金さんが続ける。「誰もが一度、北に行けばそれまでの考えが変わる。何よりも、同族であることを再確認する。金剛山観光についてあれこれという人たちがいるが、その大半が北に行ってもいない人たちだ」。

 そして、「金剛山観光を通じて、北の事情を南の社会に知らせる契機も作ったと思う。とくに6.15共同宣言の発表は、南北の和解、団合を目指す金剛山観光という選択肢が正しかったことを教えている。私は、この事業に強い自負心を持っている」と力強く語った。

 ちなみに9月18日、東海線鉄道の南北同時着工式の時、南側の資材は雪峰号で搬入された。

 金さんたちと別れ雪峰号を後にして旅客ターミナルに戻ってみると、そこはもう足の踏み場もないほどの人であふれていた。先程よりは、若者たちの姿が目につく。

 「海金剛に行けないのは残念だな」という、60歳過ぎのアジョシたちの会話が耳に飛び込んで来た。女性係員たちから乗船手続きの説明を受ける一方で、はや心は金剛山に飛んでいるようだった。(つづく=本社取材団)

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