春・夏・秋・冬

 ブッシュ政権がとうとうKEDO事業の凍結・中断まで口にし始めた。イラクは米国の軍門に下る、という判断に立ってのものか、手際の良いものだ。ますます世の中は、ぎすぎすしていきそうだ。それにしても、これまでも語り尽くされてきたことだが、目の前にある食べ物は残らず食い尽くすという米国の性癖の悪さは、近年ますますひどくなっている

▼ある月刊誌の「時評」欄で、大阪大学の鷲田教授が「いま、『知』の光景が問いかけること」という題の、心洗われる一文を書いている。鷲田教授はいう。知的想像力とは「見える現実をそのように編んでいる見えない構造へ向けて潜航してゆくこと、そのことでじぶんがふだんなにげなくしていることのうちに、いやほかならぬ『わたし』というこの存在そのもののうちに、同時代の『歴史』を感じること、である」と

▼そして、現在の日本社会を念頭に置きながら、「朝鮮民主主義人民共和国による拉致問題を語るときにも、私たちに同時に求められるのは、その国との関係の歴史を知ることであろう」「諸外国との歴史に関して、わたしたちは西欧諸国のそれ以上に隣国のそれを学んできただろうか」と問いかけている

▼その問いを受けて日常生活のなかで、自分という範疇の枠内だけで、一時の安寧だけを貪ってこなかっただろうか、と振り返ってみる

▼要するに自分を振り返ること、この何気ない積み重ねが視野を広め、そのための原動力になることを知らされた思いだ。いま、同胞社会においても求められている作業ではないだろうか。(彦)

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