くらしの周辺
金玉均を想う
金玉均という人物を知っているだろうか? 19世紀後半より20世紀初頭にかけて、急激に近代へと向かう朝鮮半島において、新時代の文明開化をはかった人物である。李朝封建制度下の両班家庭に生まれ育った彼は、朴珪寿や呉慶錫らの影響で、国の近代化=資本主義的発展を目指すグループをつくった。今風に言うと、教育制度の改革や、財政改革、行政改革などをうたった「甲申目録(政綱)」を掲げ、1884年に甲申政変を引き起こし、天下を取るが「三日天下」に終わる。ときの朝鮮半島を出自として、まさに波乱万丈の生涯を過ごした。
金玉均の政変方法や思想について、今なお歴史的評価は諸説分かれる所があるが、当時の複雑な国際情勢の中、国の開化と独立のために闘った彼の生き方は、後世に多くの示唆を与えており、100年前の事とはいえ決して現代的な意義を失っていないと感じる。 さて、その金玉均だが、甲申政変が三日天下に終わったその後、辛くも日本に亡命している。小笠原諸島に幽閉された後、上海に渡り刺殺されるのだが、生前ここ北海道・旭川に一時いたという記録がある。筆者の無知によるもので、なにも新しい歴史的事実と言うわけでもないが、地元で金玉均の話題に触れ、あらためて朝鮮半島と日本の近さや、過去の歴史的な関わりを実感した。昨今の国交正常化交渉をめぐる言いようのない「居心地の悪さ」の中で、民族を心から愛し憂いて、志半ばで散っていった先人たちに想いをはせてみた。(李紅培・朝青員) |