和解、団合の現場-北から南から-
夢だった事業が現実に
東西鉄道連結
平壌行きのホーム
今取材の最大の目的は、9月18日に南北間で同時に着工式が行われた東海(南の江原道・江陵、猪津から軍事境界線を越えて北側の温井里、そして元山に至る)、西海(新義州―ソウル=京義線)線鉄道、道路連結の現状をこの目で確かめることだった。 南北鉄道、道路の連結は、53年7月の停戦協定に明記された3カ月以内の政治協商、平和協定への変更という義務を米軍が一方的に放棄。そのことによって南北分断を現在まで固定してきた軍事境界線を6.15宣言、つまり民族の力によって崩していくという意思の象徴的な出来事である。 まず10月22日、西海線鉄道連結の南側最先端、都羅山駅を訪ねた。朝鮮戦争後、切断されたままだった京義線のP山駅以北は、6.15北南共同宣言の発表を受けて2001年4月25日に同駅までの連結工事が行われ、今年4月11日に開通した。 ソウル9時10分発の臨津江行き、5両連結の普通列車に乗り込む。乗客は中年以上、年配の人たちが目に付く。案内してくれた「民族21」誌の金基憲記者によると途中、基地が点在しているので軍に服務している肉親たちとの面会に訪れる家族、臨津江駅から徒歩で5、6分の臨津閣を目指す離散家族たちがほとんどを占めるという。
都羅山駅は、軍事境界線の南側非武装地帯からわずか700メートル。民間人立ち入り統制地域に位置しているので直通列車は運行されていない。乗客は臨津江駅で一度下車し、改めて改札口をくぐって都羅山まで1駅間、時間にして10分足らずの列車に乗り換える。ソウルからの所要時間は、乗り換え時間を入れずに約1時間30分だ。 都羅山行きの改札では、憲兵によって身体検査が行われる。軍の管轄下にあるからだ。 この日の乗客は約100人程度だった。日本人観光客のほか、80%近くが南の市民たちだった。都羅山駅での下車時には、それぞれの身分証明書が帰途までの間、駅で保管される。 列車が着いたホームの向かい側には開城、平壌行きのホームが建設されていた。北南鉄道連結が夢でなくなっているのだという事を感じる。 都羅山-鳳東14キロ 都羅山駅に着くと、乗客たちはバスに乗り込んで観光遊覧に出かけるが、取材団は金記者の機転の利いた働きかけで、駅長室で金時徹駅長(42)の話を聞くことが出来た。むろん同氏は初代駅長、生粋の鉄道マンである。 金駅長とまず名刺交換。すると名刺には「都羅山国際駅」の文字が印刷されていた。また「われらの願いは統一」「大陸横断列車の力強い汽笛の音を待つ…」という言葉も。
「都羅山駅ではなく国際駅なのですか」という質問に、「いや、統一への強い、切実な私個人の思いを名刺にすりこんだだけです」という返答。「この駅は南北が統一した暁には、すでにホームが完成しているように開城から平壌、そして新義州を経由して中国にまで至る横断鉄道になる。1日も早くそうなってほしいという思い、そうしなければならないという決意の表明です」 金駅長は、奇しくもこの連載の1、2回で紹介した江原道原州の出身。南北が緊張していた時代、その殺伐とした雰囲気を肌で感じ取ってきた。だから「統一は感傷的なものではなく、現実的にならなければ」と常に思ってきたという。 「6.15共同宣言によって相互の信頼回復、そして統一ということがはっきりとした。だからその後、この駅に就任することになった時、本当に統一は目前に迫っているのだなという思いを強くした」 9月18日の南北同時着工式後、都羅山から軍事境界線に至る第2段階工事は着実に進んでいるという。 「ここから朝鮮戦争前まで存在した、現在は境界線上に位置する長湍までは、1.8キロの区間。長湍を経てその先の北側が建設に着手している鳳東までは14キロ、列車では5分程度の距離だ。現在、地雷の除去作業が行われている」 「開通した最初の列車に金正日国防委員長が乗り、それを私が迎接出来れば、それはもう最高の栄誉です」と、まるで子どものように満面の笑みを浮かべた。 地雷処理の地響き 金駅長の案内で駅舎全体を見て回わった。「鉄道が連結すれば当然、この駅には北側の乗務員も詰めることになる。そのことを念頭において、2階には南北双方乗務員の詰め所が隣接して作ってある」というので、さっそくその部屋をみせてもらった。 南北乗務員の部屋の間には、双方の乗務員たちが共にくつろげる団欒室も設けられている。 「はやく、そうした光景が見られる日が訪れると良いな」とは、金記者。 ホームに出てその先端に立つと、そこから先はなだらかな勾配をなし樹木が生い茂る。その向こう、700メートル先からが連結工事が進められている現場だ。むろん肉眼では見えない。 「この駅には、1日に約300人ほどの観光客が訪れる。6.15宣言に沿って和解、統一へと向かう現実を実感するのか、単なる観光だけに止まらず関心が非常に高い」 改札口を出て表に出た時、突然、大きな爆音とともに地響きがした。土中からズドーン、ズドーンと体が突き上げられる。 先ほど、ホームから見た勾配をなす一帯の上空高く、砂埃が舞っている。続いてもう2回、連続した。除去した地雷を破壊しているのだという。 初めての体験だけに何が起きたのかと、思わず身構えてしまった。冷や汗が出そうな体験だったが、この爆音がさらに頻度を増していくことはつまり、それだけ確実に鉄道連結の日が迫っていることを告げるものなのだ。 温井里-猪津27.5キロ
現在、南側の釜山を起点とする東海線の終着駅である江陵駅。1日の利用客は6、700人程度で貨物車両が多いという。事実、取材団が訪れた10月25日、南北100メートルはあろうかと思えるホームは貨物車両で占領されていた。軍用貨物も目につく。 江陵駅から軍事境界線までは127キロ、そこから北側の温井里までは約18キロの距離だ。 北南東海線連結作業は、第1次段階として温井里と江陵から先、軍事境界線から9.5キロの猪津間27.5キロをつなぐことで合意。将来的にはそれをさらに延ばし、江陵まで連結する計画だ。
朝鮮戦争までは、38度線を越えて北側の元山、江陵から少し北に上がった束草間に位置する襄陽まで列車が運行されていたが、現在はむろん中断。江陵から以北の線路も、市全体の都市計画によって住宅、商業地として駅の一部が開発されてしまった結果、途中で切断されてしまった。 さらにこれまで南では地域の発展のために、建設資金、工期が大幅にかかる鉄道よりも高速道路網拡充に力が注がれたために、基幹網を除くと日本ほど整備はされていないという。そうしたなかで合意された北南東海線鉄道の連結事業。 「正直にいって、夢のような話だった。しかし今や夢ではなく、そのことが現実のものになった」と語るのは、江陵駅の閔在基駅務チーム長だ。 莫大な経済効果
閔さんは9月18日、民間人統制制限線内で行われた温井里―猪津間の鉄道連結着工式に参加した。元来が江陵市出身の閔さんだが、制限線内に入るのは初めてのことだった。 かつて、非常に緊張した時代には江陵市自体も一般市民には完全に開放されず、「口では言い表せない相当の統制を受けた地域」だ。それだけに、鉄道連結着工式に参加した時は感慨深かったという。 「緊張と分断の苦痛を切実に感じざるを得なかったこの地で、民族和解、交流・協力の風を直接、私自身の体で体験することができたからだ」 そして、「まず南北の鉄道が連結されると、さらに釜山からロシアのシベリア鉄道とつながっていく。その経済的な効果は莫大だ。また、結果的に非武装地帯も開放されていくことになる。農耕地への転換など有効に活用されていくだろうし、合わせて軍事費の削減にもなる。わが民族にとって有益以外の何物でもない」と強調した。 江陵駅にまで連結事業が及ぶのは先のことになりそうだが、今の駅から内陸に8.7キロ入った地点に新駅舎の建設が想定されているという。「一日も早くそうなれば、鉄道マンとして、さらに民族の一人として、これ以上の喜びはない」と閔さんは締めくくった。(続く=本社取材団) |