第10次総聯同胞故郷訪問団

2世が民族の心を継ぐ


 第10次総聯同胞故郷訪問団(団長=金鎭度・総聯愛知県本部委員長)一行が11月25〜30日まで南朝鮮の故郷を訪問した。初めて2世が参加者の半数を超えた今回の故郷訪問団には64人の同胞が参加し、先祖の墓参りや音信が途絶えていた家族・親せきとの再会を果たした。(李明花記者)

1世の思い2世が

50〜60余年ぶりに堂々と故郷の地を訪れ、家族・親せきとの再会を果たす訪問団メンバー

 10回目となる今回、1世の参加者はほとんどが75歳以上の高齢者。車椅子などが必要なため、1人での渡航が困難な1世の同伴者として参加した2世たちも多かった。長男とともに訪れた1世の金燦成さん(76)は、「1人で来ることはとても無理だったが、息子(2世)の助けを借りて62年ぶりに故郷を訪れることができた。これからは足の悪い私が来られなくても、息子の世代が行き来して一族のきずなを深めてくれるだろう」と安心した様子だった。

 このように、かつて、日本にいる家族・親せきが総聯の活動に参加しているという理由で、災難を恐れてとだえたきずなを2世が確かめ、つないでいくことは、彼らが一族の代を継いでいく次世代の主人公となることをも示している。

 そのほかにも、故郷の地を踏むことなく亡くなった父母や夫、高齢で長旅ができない両親の代わりに、日本で亡くなった父母の墓がある南の故郷に墓参りをするため―など2世たちの訪問動機はさまざまだった。

 彼ら2世に共通した思いは、「父母が望郷の念に胸焦がしながら、親の死に目にも会えず無念の死を遂げたのに、どうやって信念を曲げてまで故郷に行けようか」というものだった。

 32年前に亡くなったアボジの代わりに祖父母の墓参りをした千英来さん(62)は、「息子としての責任を果たせ、心にひっかかっていたものが取れたような気分だ」と感慨深げに語っていた。

民族守る姿に感嘆

 家族、同じ民族が会えば、それがすなわち「統一」であることを身をもって示してきた故郷訪問団メンバー。回を重ねるごとにそのすそ野は広がりつつあるようだ。

 取材中、南の家族・親せきから、「総聯の故郷訪問団が訪れるたびに、『次は自分の番では』と連絡が来るのを心待ちにしていた」という言葉をよく聞いた。

 今回、2世同胞から、民団やニューカマーの子どもたちにも門戸を広げるなど、民族教育の現状を聞いた60代のある南の親族は、「これまで抱いていた総聯の印象とは大分違うようだ。いまだ残る日本政府の差別政策のなかでも、苦労しながら民族の魂と言葉を守っているとはたいしたものだ」と驚きを隠し切れない様子だった。

 滞在期間中、南の地では、次期大統領選挙はもちろん、在韓米軍兵士による女子中学生れき殺事件に関する話題で持ちきりだった。街のあちこちに「在韓米軍駐留反対!」「われわれ同士の力で平和統一を成し遂げよう」などのスローガンが掲げられるなか、デモ行進を行う市民らがソウル市庁に火炎瓶を投げつけるなど、南の反米感情は最高潮に達していた。

 乗り込んだタクシーの運転手は、記者の名札を目に留めると「総聯の故郷訪問団のことは、報道されよく知っている。在日同胞が過去に異国でどれだけ苦労したことか。自由に行き交うことができる日が一日も早く来るように力を合わせよう」「民族が分断されている異常な状況をわれわれ自身の力で解消しなければならない」と語っていた。

 10回を迎えた総聯同胞故郷訪問団事業は実現以来、2年の間に南朝鮮市民の心にも着実に「統一」をもたらしているように思えた。

これまで748人が参加

 朝鮮籍や総聯の同胞が総聯の訪問団以外に人道上、商用などの理由にかかわらず故郷を訪問する場合、当局から国籍の変更や総聯からの脱退などを求められるのが現状だ。そんななか、6.15北南共同宣言履行の一環として始まった総聯の同胞故郷訪問団事業は、2000年9月に第1次が出発して以来、計10回行われ、総勢748人(随行員含む)が故郷を訪れた。

 故郷訪問団を皮切りにして総聯では、洪昌守応援団、サッカーW杯観覧団、そして最近では1000余人もの同胞たちが参加した、第14回アジア競技大会応援団などを組織。現在まで数千余人もの同胞たちが総聯の訪問団として南を訪れている。

 故郷訪問団事業がこのような民間団体の招待や行事観覧を目的とした他の訪問団と性格が異なるのは、6.15共同宣言を履行するため開始された2000年7月の北南閣僚級会談で討議、決定するよう金正日総書記が指示。朝鮮政府の保護と南朝鮮政府当局の支援のもとに総聯が責任を持って行う事業であり、明らかな人道問題であるからだ。

 訪問団メンバーのほとんどがかつて日本の植民地支配のもと、強制労働などによって故郷を追われた犠牲者であり、その子孫たち。彼らは、6.15宣言にもとづく同事業の実現によって、自らの信条を曲げることなく堂々と南の故郷を訪れ、長年、生き別れになっていた家族・親せきと会うことができるようになったのである。

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