朝鮮の食を科学する(11)

冬至に食べる小豆粥の習慣

高麗時代から根づく、生活風俗、厄払いの意味も


冬至の「節食」祭祀の供え物も

 歳の瀬も押しつまってきた。この12月のことを冬至月と呼ぶ。冬至は12月22日で太陽の日照時間がいちばん短くなる日であり、冬至を過ぎれば、また日は新しく長くなっていくので、この日を「正月」とも考えて亜歳と呼んできた。

 そしてこの日に必ずいただくものとして小豆の粥、パッチュクを食べるのが古くからの慣わしであった。

 なぜ赤い豆の小豆を粥にして食べたのだろうか。赤飯、小豆粥、そして小豆のついた餅や饅頭は、概してオメデタイときにつくられるが、小豆粥は12月の冬至の日に必ず食べられる「節食」である。

 この生活風俗は高麗時代からのものとされている。

 小豆は赤豆とも表すが、一般に「赤色」は厄払いをしてくれるとの言い伝えがある。新しい年が無病息災、無事であるようにと厄払いの意味をこめて、小豆粥をいただくようになったとされる。

 小豆粥には糯米の粉でつくった小鳥の卵状の団子が入れられる。その団子の芯にむかしは蜂蜜が入れられていた。この団子を新年で迎える歳の数だけ粥に入れていただいたのである。

 冬至に小豆粥をいただく風習はまだすたれてはいないが、団子の数にはこだわらなくなっている。またこの小豆粥が別な意味で生活の風俗としてしっかり根を下ろしているようだ。

 小豆粥は祭祀の供え物ともするし、豆の汁を家屋の門の前にまいて、疫鬼が屋内に入らないようにする。文字どおり「厄介払い」にも用いられてきた。

 それが変化して、家を新築したり、引っ越しで家が変わると、その家での家内安全のために小豆粥をいただき、お客様にも振る舞うことが風習化してきているようである。いま「韓国」では引っ越し小豆粥は、日本での引っ越しそばのような意味合いで、生活に根づいている。

 生活の節目にいただくようになっていた貴重な食べものの小豆粥は、いまはいつでも食べられる。ごく身近な存在になっている。

 「韓国」では定食屋さんでも小豆粥メニューは見られるところもあるし、人の多く集まる市場などでは小豆粥、カボチャ粥の屋台店が常時みられる。軽く腹ごしらえするのに格好のメニューでもあり、女性、高齢者のヘルシー食として人気は高い。中国の東北地方の朝鮮族の多く居住する市場でも、この小豆粥メニューは好評である。

 「五穀」という表現があるが、そのひとつは穀類ではなく豆類である。中でも小豆は米、大豆に次ぐ貴重食品にランクされる。栄養成分でみるとビタミンBが比較的多く含まれている。これが米糠(ビタミンB1含む)を除いた精白米との赤飯や小豆粥になると立派な「薬膳」メニューになる。

 実際にむかしから朝鮮の民間療法では「腎臓炎と脚気(B欠乏症)の人は小豆を煮て食べよ」「二日酔いには小豆粥が効く」「産後の母乳の出がよくないときは小豆粥を食べよ」などと言い伝えられている。

出雲の小豆雑煮や「ぜんざい」も共通

 面白い諺もある。同じ豆類でも大豆は白く、小豆は赤い。誰がみても大豆と小豆の区別はできる。ところが世の中には、物事の区別をはっきりできない人がいるので、そのような人を指して、「小豆を大豆と言っても、そのまま信じる」として揶揄する諺がある。それくらいこの小豆は朝鮮の生活に密接に結びついた食べものといえる。

 字数が足りないので蛇足ながら簡単につけ加えると、この小豆粥の変形したものが日本の出雲地方にみられる小豆雑煮となる。さらにそれに砂糖の甘味が加わった関西地方の小豆の「ぜんざい」と食の文化はつながっているとみている。小豆粥とぜんざいは文化でつながっているのだろう。(滋賀県立大学教授)

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