第10次総聯同胞故郷訪問団の5泊6日
夢にまでみた故郷を訪れた在日同胞1、2世たち。彼らが過ごした5泊6日には、それぞれのドラマがあった。(李明花記者)
京畿道 58年ぶり、韓宅洙さん 「歓迎 総聯同胞故郷訪問団」の横断幕を掲げた送迎バスから降り立った韓宅洙さん(80、東京都在住)を迎えたのは弟のヒャンネ氏(75)だった。 「ヒョンニム(お兄さん)! 死んだと思っていた人が生きて帰ってくるなんて!」「ヒャンネヤ!」
2人は半世紀の空白を埋めるかのようにしっかりと抱き合った。 日本の植民地支配下で勉学もままならなかった1942年、当時22歳だった韓さんは向学心に燃え、17歳のヒャンネ氏を連れて渡日。互いに苦学をしていた44年、韓さんがいわれのない罪で投獄される。46年に釈放された時には、すでに弟は兄の消息が分からぬまま、帰郷した後だった。 58年ぶりに見る故郷に当時の面影を探そうと、車窓に流れる街並みを食い入るように見つめていた韓さん。「昔とはすっかり様子も変わり、大都市になったものだ」ととまどいながらも、木立ちにかささぎの巣を見つけると、「今でも変わらぬ風景を見て、初めて故郷に帰ってきたと実感した」と感無量の様子だった。 城壁で遊んだり水門で水浴びをしたという水原華城。「幼い頃はこの川がとても大きく見えたのに」。 韓さんは故郷訪問の間、集まった家族・親族たちに総聯活動に励んできた半生を語った。北に住む親族の写真も見せながら、「外勢によって分断を余儀なくされたが、これからはわれわれ自身の力で統一を成し遂げなくてはいけない」と力強く訴えた。ヒャンネ氏も「兄弟がここで会えたのも6.15共同宣言のおかげ。このような兄がいることを誇りに思う」とうなずいていた。 慶尚北道 行方不明の姉と再会、朴玉順さん 従兄弟に会うべく、故郷訪問団の一員となった朴玉順さん(68、2世、広島県在住)はソウルで受けた親せきからの電話に心臓が止まる思いだった。解放直後に行方がわからなくなっていた実の姉、日粉さん(73)が今も生きているというのだ。
慶尚北道青松郡の故郷で再会した2人は、「オンニ、よく生きてくれていたね」「夢のようだ」と涙を流して喜んだ。 姉が広島から島根に嫁いだのが1945年7月。戦後の混乱のなかで、その後の連絡は一切途絶えた。 「密航船に乗って夫の故郷へ帰っていったという、うわさを聞いた。いくら待っても連絡がこないので、船が沈んで死んでしまったものとばかり思っていた。嫁ぎ先まで姉を探しに行き、泣きながら家に帰って来たアボジの姿を今も忘れることができない」(玉順さん) 一方、家族が北に帰国したのではと思っていた日粉さんは、「離散家族探しのテレビ番組を欠かさず見ては毎日泣いていた。もうあの番組を見なくてもいいんだね」と妹の手をしっかり握りしめた。 南の親せきは、総聯同胞故郷訪問団の報道に接するたびに「次は私たちの番では」と、玉順さんからの知らせを待ち望んでいたという。 墓参りを果たした玉順さんは、「先祖が眠る故郷の地に父の遺骨を眠らせてあげたい」と語っていた。 慶尚南道 息子と共に、金燦成さん
「死ぬ前に一目弟に会いたかったが、連絡もないので死んだとばかり思っていた。なのに息子まで連れてくるなんて、こんなにうれしいことがあるか」 金テクニョンさん(80)は弟、金燦成さん(76、愛知県在住)の手をにぎって離さなかった。 「南に住むヌナ(お姉さん)に迷惑がかかるかと思い、連絡を取りませんでした。足が悪く、今回も行くのをあきらめようかと思ったが、同伴者を連れて行ってもよいと聞き、息子と一緒に来ました」 62年ぶりに故郷を訪れた金さんが、総聯活動に捧げた半生について説き、息子の初星さん(52)が、民族教育をはじめ異国の地でも必死に民族性を守ろうと奮闘している在日同胞社会の現状について話す。集まった家族・親せきからは感嘆の声がもれた。「南の家族・親せきが私の生き様を理解してくれ、これまで金日成主席と金正日総書記、総聯組織を信じて愛族愛国の信念、民族的良心を守ってきたことが正しかったと再確認した。自分の信条を曲げることなく堂々と故郷を訪問できるようにしてくれた金総書記に感謝している」。そう語る金さんの目には涙が浮かんでいた。 「今度はいつ来れるのですか」との親族の問いに、「私が来られなくても息子が来れる。家族・親せきのきずなを深め、これからも一族の繁栄を代を継いで守ってほしい」と安心したように語っていた。 アボジの墓参り、安晃・徐美子夫妻 安晃さん(49、2世、兵庫県在住)のアボジ(父)は7年前に日本で亡くなった。遺骨は現在、慶尚南道陜川郡の故郷に眠る。本家の長男であったアボジの訃報に接した南の一族が、先祖の眠る墓に埋めるため、遺骨を引き取りに来たのだ。
また、「私が死んだらすぐに遺骨を故郷へ送ってくれ」というのが「故郷に帰りたい」と一度も口にはしなかったアボジの遺言でもあった。 7年間日本でチェサ(祭祀)は営んできたものの、「一度も墓参りをできていないことが気がかりだった」という安さんは、夫人の徐美子さん(54)とともに故郷を訪れ、初めての墓参りを果たした。 初対面の親せきたちから温かい歓迎を受けながら、「従兄弟の顔や仕草が亡くなったアボジそっくりだったことに血肉の情、血のつながりを感じた」と徐さん。「2世なのになぜそんなにウリマルが上手なのか」という彼らの問いに、「子どもたちもみんな朝鮮学校や朝鮮大学校にまで通い、ウリマルを習い、民族の誇りを守っている」と誇らしげに語る安・徐夫妻。総聯が行ってきた民族教育の歴史やすばらしさについて述べるなど、一族との話は連日明け方まで続いた。 墓参りを通じ「息子としての責任をひとつ果たすことができたような気がする」と語る安さん。 「これからは本家の息子として、一族の代を守らなければいけないが、日本に住んでいるため難しい面もある。今後日本にいながらどんなことができるか考えていきたい」と語っていた。 |