閑話休題

日独の政治姿勢

過去との闘いと隠ぺいと


 ドイツと日本の著名な政治家の回想録を数年前に読み比べたことがあった。一冊はドイツの元大統領ヴァイツゼッカー氏の「回想録」。もう一冊は故福田赳夫元首相の「回顧九十年」。2人の共通点は、共に保守党出身であるということ位で、政治家としての思想と信条には、何の共通点もなかった。2人の回想録を読むと戦後、ナチの過去と闘い続け、被害者らの信頼を勝ち得たドイツ政府の真摯な歩みと、朝鮮とアジアへの戦争責任を隠蔽し続け、いまだにアジアの人々に苦痛を与え続ける日本の醜い姿を鮮やかに対比させることができる。

 ヴァイツゼッカー氏は84年から10年間、ドイツの大統領を務めた。在職中から一貫して「どのように償っても克服することが不可能なほどドイツの過去(の罪科)は重い」と訴え続けてきた。 中でも忘れられない演説がある。

 「目を閉じず、耳を塞がずにいた人々、調べる気のある人たちならば、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはなかった。…しかし、現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのである。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではない。良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形があった」

 国民に厳しい反省を求める指導者。その対極には拉致問題に絡めて日本のつい半世紀前に侵した過去の罪科をなかったかのように消し去ろうとする日本の政治家たちの姿が見える。(粉)

日本語版TOPページ