春・夏・秋・冬 |
作家の辺見庸さんが東北地方のある都市で講演した時のことだという。「朝・日問題を考えるうえで、日本の植民地支配時代、朝鮮人強制連行の事実など、過去の歴史を避けては通れないと詳述したところ、質疑応答の際に地元の大学生が辺見さんの話を聞いて強制連行の事実について初めて知ったと、驚きを隠さなかった。私は、その学生が両国関係史の基本の1つであるそうした事実を知らなかったことに、もっと驚いてしまった」
▼先日、機会があって地方に出かけた時に、同胞から聞かされた話である。「日本の学校では、こうした隣国との関係史について教えていないのだろうか」「教えてはいるんだろうが、受験勉強主体だから、隅に追いやられているのでは」 ▼すると、その場に居合わせた1世同胞が早口でまくしたてた。「私は徴用で日本に連れてこられた。徴用とは徴兵、徴収という言葉に連なるように、その対象の意思は考慮されない。来い! と言われ、その通りにするしかなかった」。なるほど、「広辞苑」を開くと「よびだすこと、召し出すこと」とある。命令、強制である ▼「歴史の風化」とは、なにも今に始まったことではない。人間というもの、何事も一度、きちんと教えられ、学んでいれば忘れはしないものだろう。幼児体験ではないが、記憶の片隅にでも断片的であろうが残るものだと思う ▼しかし、教えもしないとなれば話は別だ。前述した学生ではないが、知る事もできない。そこから生まれるものは、無知以外の何ものでもない。友好・親善の前に、過去の清算が緊要だ。(彦) |