「誠信」へのアプローチ -朝・日交渉と拉致問題をめぐって-

「近い国だから仲良く話し合ったら分かるはず」

作家 渡辺淳一さん


 現代日本の文壇きってのベストセラー作家である作家の渡辺淳一さんは、日朝首脳会談直後、長期連載中の「週刊現代」の人気エッセー「風のように」(10月12日号)で拉致問題を取り上げた。

 「このところ、新聞、テレビなど、マスコミは拉致問題一色。肝心の国交正常化交渉などは、いささか色褪せ、遠くに追いやられた感じである」との書き出しで始まる一文は、「この、日本だけ異様に怒り、まわりの国々は淡々と、むしろ他人ごとのように冷ややかに見ている理由はなになのか」と疑問を投げかけた。そして、渡辺氏はかつて北海道砂川で過ごした少年時代(小学1、2年生)を振り返り、戦時中の朝鮮人強制連行の悲惨な目撃談を生々しくつづったのである。

 雑誌掲載から約2カ月。渡辺さんを東京・渋谷の仕事部屋に訪ね、このエッセーへの反響を伺うと「一般の読者からはもちろん、ジャーナリスト、編集者の中にも共感してくれる人がいた。『冷静で勇気ある発言』だとか、『よく書いた、とても参考になりました』という手紙や電話をもらい、(私が書いたように考えている)人は結構いるのだと思いました」と語った。

 戦後57年たって、日本ではかつての侵略の事実さえ知らない人が増えた。渡辺さんはこの一文を書いた理由を「60歳くらいまでの政治家にしても財界人にしても、意外にその歴史を知らない。私が実感として知っている日本の加害の事実を伝えて、もう一度じっくり日本人に考えてほしかった」と説明する。

 「英仏もかつて多くの国々を植民地にして搾取した。しかし、日本の場合は、朝鮮民族に対し、同化政策を強いて、文化を壊し、固有の言葉や姓まで奪った。その点が恨みを増幅したと思う。単純搾取ではなかった」

 当然のことながら、加害者は自分のしたことを忘れ、被害者は永遠に虐げられたことを忘れない。渡辺さんはそうした過酷な侵略の事実を風化させてはならないという強い思いを抱いてペンを執ったのである。

 「確かに拉致問題は重要だ。『むごい』ことである。しかし、日本のメディアの議論の中に、過去に日本が何をしたかという歴史認識がすっぽり抜け落ちていることに危惧の念を持っています」と渡辺さんは顔を曇らせる。そのためにも日本の植民地支配下、朝鮮半島から強制連行された人たちのことを決して忘れてはいけないと語る。

 当時日本に無理やり連行され、牛馬以下の扱いを受け、酷使された朝鮮人たち。栄養失調や事故、時にはリンチでバタバタ倒れ、闇から闇に葬りさられた人々。渡辺氏は砂川で見たその残酷な事実をこう描写する。

 「彼等は一様に、真冬でもボロボロの服を着て、痩せて目だけ光っていた。そんな虜因のような群れが坑道に送り込まれるのを見た」「飯場に近づき、朝鮮人が半死半生のリンチにあっているのを目撃した」

 渡辺氏によると北海道の近代化は、下層労働者への迫害やタコ部屋における囚人労働など、弱い立場の人々を犠牲にして築かれたもの。そのうえで太平洋戦争に突入する狂気の時代の中で、「朝鮮半島から200万とも400万ともいわれるかなりの朝鮮人が日本全土に強制的に連行されてきたのです」。

 渡辺さんの祖母や親戚は歌志内や砂川で醤油や味噌、煙草などを売る雑貨店や新聞店を開いていた。そこで、あるとき、飯場から逃げ出してきた朝鮮人労働者を見たことがある。幼い日、渡辺さんは叔父や叔母が、逃亡してきた朝鮮人におにぎりや餅を上げているのを見たことがある。「逃げて来た男が、『アイゴー、アイゴー』と言いながら、手を合わせていた姿が目に焼きついています」と遠い記憶を手繰り寄せた。

 「だが、こうしたことは日本人のほとんどの記憶から消えて、今では教科書で教わることもない。さらに今、マスコミの第一線にいる者から、政治家、官僚から小泉首相まで、そういう事実があったことを、実感として知らないのです」

 せっかく再開した日朝交渉が拉致問題一色に塗りつぶされ、膠着状態に陥っているのは残念でならないと語る渡辺さん。

 「小泉首相が正常化交渉に踏み出したのは正しい。世界にはその国の歴史に応じたさまざまな形がある。イスラムもあれば仏教もあり、文化も多様化の時代です。その中で隣国に対し一斉に批判するだけでいいのか。一つの方向だけではなく、さまざまな意見を出し合い、認めあって、その中でいい形で解決をはかっていくべきです」

 渡辺さんは「近い国だから仲良くしないと、本当に話し合ったら分かるはずです」と柔和な笑顔を浮かべた。(朴日粉記者)

 「誠信」=江戸時代の外交家、雨森芳洲が日朝国交に当たって力説した言葉。

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