一つのアジア、一つの地球、若い世代が平和に貢献を
カンボジアでの出会いから―拳道会総本部指導員 宋修日
「アンコールワット」「ポルポト」「地雷」(若い人なら「電波少年」か)―。カンボジアのシェムリアップ国際空港に降りたった時点で私のカンボジアに対する印象は恥ずかしながらそれぐらいであった。カンボジアへの援助活動を目的とした日本の専門学校生との研修ツアーに参加した私にとってそこでの人々との出会いはまさに自分の人生観に衝撃を与えた画期的なものとなった。
医療・教育の援助 カンボジアでは戦争、貧困をはじめとするさまざまな事情から親を失ったり、親が子供を捨てたりすることから孤児が後を絶たない。一人の女性がそのような孤児たち60人を集め自費で養っている孤児院を訪ねた時であった。カンボジアのマザーテレサのようなその人の微笑からはカンボジアの子供たちに明るい未来を与えたいその気持ちが伺えた。貧困に苦しむ西バライの村はまだ電気も通っていない貧しい村であった。その村を訪ねた時、ツアーの人たちはその村のために発電機、生活用品、子供たちには学習用品の支援物資を準備した。電気もないその村ではわれわれが持ち込んだ発電機によって40世帯の家に電気を通すことが出来ると聞いた。全員で集めれば日本ではそれほど大きな額でもない発電機もその村の人たちにとってはそれがまさしく生活の光であり人生の明るい光であった。 即席空手教室 子供たちとの交流時間でいろんなゲームで子供たちと遊ぶわれわれツアーのメンバーを見ながらさて自分はなにをしたらいいものかと考えたあげく、職業とする空手の動作を見せてみた。それが興味をそそったのか男子を中心に100人ぐらいの輪がいつのまにか出来ていた。ちょっとした気持ちでやったわけだが後に引き下がれなくなり、そのまま即席空手教室をはじめた。突きと蹴りの「ワン・ツー・スリー」のコンビネーションをクメール語で「モイ・ブィー・ベイ」と言いながらちょっとした動作を教えてみた。日本で空手道場に来る子の中では引きこもりがちな子供を親が強く育てたくて連れてくる子も多い。しかしカンボジアの子にとってはそのような可能性を伸ばす機会が与えられてはいないのが現状だ。天真爛漫の笑顔、夢中になって空手を習おうとするその姿を見て無限な可能性を持ったこの子供たちから生きる権利、学ぶ権利、自己の才能を伸ばす権利を奪ってはいけないと痛感した。 必死に生きる人々 シェムリアップ市内を歩いていると地雷で手や足を失った人たちが観光客に物乞いをする光景がよく見られる。政府からの援助をもらえず仕事にも就けない被害者たちの姿であった。カンボジアで援助活動をしている日本人ボランティアの声が脳裏に響いた。「物乞いをする人たちは確かに今みすぼらしい姿に見えるかも知れないが彼らは内戦において立派に戦って負傷した戦士たちだということを忘れないでほしい」。 私たちはその被害者たちが社会復帰に向けて励む地雷被害者村を訪ねた。町で物乞いをする被害者たちを見かねたある日本人が立てたサポートセンターであった。その村には地雷で足や手を失った人たちが働く農場、その子供たちのために立てられた学校、娯楽施設などがありそこはまさしく被害者のための村であった。そこでわれわれと地雷で片足を失った人たちとのバレーボール試合が組まれた。片足のない人たちとの試合とは想像しにくいが結果はまさしくわれわれの完敗であった。決して油断してかかったわけではないが義足で動く人たちの動きはすばやくまさしく圧巻であった。サポートセンターで出会った人たちはみな明るかった。仕事に励む姿、バレーボールをするときの姿もみな明るくそこには逆境の中でも必死に生きる人間の生きるたくましさがあった。片足をなくしても杖をつきながら必死に社会復帰に向けて励む姿を見て「人間はみな平等であり、決してこの人たちは不幸なのではない」と実感した。 心の豊かさこそ 1週間の短い期間中、カンボジアで援助活動に従事する日本人ボランティアの人たちとの出会いもあった。「人のために何かをしたい」「人生に悩んだため」と動機はさまざまであったが、カンボジアの人たちが戦争の傷跡から立ち直り自立するための手助けをしたい、カンボジアの子供たちの未来への手助けをしたいとボランティア活動に奮闘していた。「最近の若者は…」と言われがちだが、その輝いた瞳は日本ではあまり見られない若者の姿であった。今まで物が豊かな日本で生まれ育ち朝鮮人として誇りをもって生きてきたが、カンボジアの人々との出会いから世界をたった1つの価値観だけでは見てはならず、1つの物差しだけでは計れないことを痛感した。日本では古く用のないものもここでは生きるための必需品となる。5万円で40世帯に電気が通り2万円で井戸が掘れて水の問題が解決する。また、カンボジアの人たちのその笑顔から人にとって幸せは物の豊かさだけではなく心の豊かさであることがわかった。地球上に住む人たちはみな平等であり、生をうけた人間として誰もが生きる権利を持つ。朝鮮民族が1つとなり日本と朝鮮の人々が共に平和に生きる時代、お互いがお互いを尊重し、各地での紛争が解決し平和に暮らす1つのアジア、1つの地球をわれわれが作っていかなければならないと感じた。 日本と朝鮮は9月の共同宣言により半世紀にわたる敵対関係を清算し、和解と共生の道を選んだ。まだまだ先は長く多くの問題が山積みだが、それは北東アジアの安全・平和に寄与する道でもある。カンボジアでの滞在期間を通して、日朝関係、南北朝鮮関係の和解と統一のためにもわれわれ新しい世代が出来ることがあるだろうし、その力は決して小さくないことを実感した。帰りながらある日本人ボランティアの人が言ったことばが忘れられなかった。北東アジアの平和と共生を目指し「私たちが変わる。私たちが変える」。 |