今年の北南関係、かつてなく活発に


 今年、北南関係はかつてなく活発に動いた。東海・西海線の鉄道・道路連結の動きは象徴的な出来事だ。北側代表団が参加しての8.15民族統一大会のソウル開催、釜山アジア大会への北の選手団・応援団の参加、済州道民代表団の2度にわたる訪北など、往来も活発に行われた。主な動きをまとめた。

東・西海線鉄道、道路連結

「民族の力」で分断克服へ

 9月18日、金剛山青年駅(江原道高城郡)と開城駅(開城市)で東海線、西海線の着工式が同時に行われた。東海側は、南の江原道・江陵、猪津から軍事境界線を越えて北側の温井里、元山に至るルート。西海側は新義州―ソウル間の京義線である。

 着工式ではそれぞれ、北側の金容三鉄道相(東海線)、張一善国土環境保護相(西海線)が報告し、「6.15共同宣言の生命力の誇示として、半世紀以上にわたる民族分裂の悲劇に終止符を打ち、断ち切られた民族の血脈と地脈を再びひとつにつなぐ歴史的出来事」だと指摘した。

 53年7月の停戦協定に明記された3カ月以内の政治協商、平和協定への変更という義務を米軍が一方的に放棄したことによって、朝鮮半島の分断は固定されてきた。その象徴である軍事境界線を、6.15宣言という「民族の力」で崩す一歩となるのが、この鉄道、道路の連結だ。

 10月に行われた第8回閣僚級会談では、南北双方がまず、東海線鉄道と道路を金剛山地域に、西海線鉄道と道路を開城工業地区に連結することで合意した。

 その後、北側で金剛山観光地区法、開城工業地区法が相次いで採択された。これによって、金剛山は国際的な観光地域に、開城工業地区は国際的な工業、貿易、商業、金融、観光地域になる。

 道路、鉄道の連結は、「金剛山観光が活性化され、開城工業地区建設が進められるようにする」(経済協力推進委員会第3回会議合意文)ためにも不可欠のもの。経済面での貢献が大きいということだ。

 昨年1月の第6回閣僚級会談が決裂したことで、南北関係は一時凍結されていた。今年4月、金大中大統領の特使、林東源・外交安保統一特別補佐役が平壌を訪れ、南北関係の原状回復をうたった共同報道文が発表された。その後、閣僚級会談が再開され鉄道・道路連結の動きも一気に進んだ。

 ただ、ここへ来て米国の妨害が表面化した。南北の合意に基づき進められてきた非武装地帯の地雷撤去作業が最終段階に入った今になって、米軍側が「軍事境界線の通過には停戦委員会の許可が必要」などと主張し出したからだ。

 北側は、「東西海鉄道・道路が通過する軍事境界線と非武装地帯区域を北南の管理区域とすることで朝鮮人民軍側と国連軍側で合意済み」(朝鮮中央通信11月16日発論評)と反発していた。

 だが、こうした妨害にもかかわらず、南北は今月15日から17日まで金剛山で実務協議を開き、鉄道と道路を連結することをあらためて確認した。

8.15民族統一大会

初めてソウルで開催

 今年の祖国解放を祝う行事は、分断史上初めて、南北双方の代表が参加してソウルで行われた。「6.15南北共同宣言実現と韓半島平和のための統一連帯(統一連帯)」など南の統一団体の要請によるもの。北側は116人の代表団を派遣したが、民間行事に参加する人数としては過去最大規模だ。

 昨年の8.15光復節に際し平壌で行われた民族統一大会で、南北双方の運動体は今年の大会のソウル開催で合意しており、北側代表団の参加で合意が果たされたことになる。全民族による8.15解放を祝う行事は、定例化に向けて動き出したといえる。

 1月早々、北では政府・政党・団体合同会議が開かれ、民族の団結した力で統一の新たな局面を開くための当面の対策が討議された。そして、6.15共同宣言発表2周年にあたる今年は、「わが民族同士で祖国を統一しよう!」というスローガンを掲げていくべきだと強調された。

 民族和解協議会、統一連帯などの北南の民間団体は、旧正月に際して民族の団結と統一を促すための共同行事を金剛山で開催することを予定していた。だが、直前になって南側参加者の大部分が不許可になり、開催されなかった。

 その「リベンジ」として金剛山で開かれたのが、6.15民族統一大祝典。8.15民族統一大会もその流れの中での開催ととれる。大会で合意された青年学生、女性の大会も10月に金剛山で開催された。

釜山アジア大会

「私たちはひとつ」選手、応援団を大歓迎

 9月29日から10月14日まで釜山で開かれた第14回アジア競技大会。北側は305人の選手団、355人の応援団を派遣した。

 選手団は2回に分けて直行便で南入り。応援団は「万景峰92」号で釜山港に到着、船内で宿泊しながら、南北の選手たちを応援した。応援団が港に到着する時から「私たちは一つ」と書いたTシャツを着た人たちが大声援を送るなど、大歓迎ぶりだった。

 ほとんどが若い女性で構成された応援団。彼女たち見たさに競技場に繰り出す男性もいたほどのフィーバーぶりだった。

 北側選手団、応援団の参加はぎりぎりまで危ぶまれたが、8月末に北側オリンピック委員会と南側釜山アジア競技大会組織委員会の実務接触が金剛山で行われ、28日に合意を見た。

 スポーツ関係では、テコンドー師範団の相互訪問も実現した。

 6月に開催されたサッカーワールドカップの南の活躍ぶりを称え、朝鮮サッカー協会委員長が「大韓サッカー協会」会長に祝賀の手紙を送ったことも記憶に新しい。北では初めて南チームの試合もテレビで放映された。

 9月には南北サッカーもソウルで実現。90年に平壌とソウルで行われて以来、12年ぶりのことだ。実現に尽力した「韓国未来連合」の朴槿恵代表は5月に平壌を訪れ、金正日総書記と会見している。

 済州道民訪問団も5月と11月の2回実現。団長の姜栄石理事長が所属する南北協力済州道民運動本部は、98年以来、人道的見地から北側にみかん、ニンジンを支援している。その謝礼として北側が招請し訪問が実現した。

 さらに、9月にはKBS交響楽団の訪北で実現した南北交響楽団合同演奏会が朝鮮半島全域に生中継された。南北で同じ番組が同時にテレビ中継されるなど、かつてなかったことだ。

 6月に西海上で起きた武力衝突事件に対しても、北側が「遺憾の意」を表明するなど、これまでにない動きが見られた。

日本語版TOPページ