朝鮮の食を科学する(1)
日本の食生活変えた
「カルビ」が日本語化、キムチは漬物消費のNo.1
焼肉店の苦境
今、焼肉店をはじめとする牛肉関連業界が未曾有の逆風の中にさらされている。狂牛病の影響である。何年か前にO―157のために打撃を受けたことはあったが、それはすぐに回復した。今回はその比ではなく、倒産や店じまいをするところが目立つくらい深刻である。 この情況を抜け出すために、ただ手を拱(こまね)いていることはなく、何らかの努力が必要であることはいうまでもないだろう。そのひとつとして焼肉店の成り立ちの原点に立ち戻り、いくつかの問題を考えてみたい。 焼肉店と生活問題 焼肉店は在日同胞にとっては生活の糧(かて)となる業種であり、パチンコ、建設業などと共に基幹産業である。全国に焼肉店なるものは2万5000店前後あるとみられ、その約70%は在日同胞が関わっているのが現状である。 直火で肉を焼く「プルコギ法」はかつて日本にはなく、戦後に在日同胞が生きるための手段として同胞密集地からスタートさせたのが始まりである。全国に数えるほどしかなかった焼肉店が急速に広がり出すのは日本の高度成長経済の波が来る昭和30年頃を境目とする。食堂スタイルの店舗がレストランタイプの高級店へと変身していく。焼肉店は儲かる商売だというイメージも定着していく。このことは同胞の生活向上に大いに役立つことであったことは言うまでもない。 一方、焼肉店の普及と発展は、日本社会での朝鮮民族の食文化の認識と理解に大きな役割を果たしたことを見逃すわけにはいかない。在日の若い世代にも誇りと自信をもたらした効果も無視できない。 例えば、日本での2001年のキムチの消費量は約36万トンである。1980年の約3万5000トンの10倍であり、これは漬物業界のトップ品種となっている。「日本の漬物」といえるくらいの位置だろう。焼肉メニューにはカルビなどの朝鮮語由来のものが多いが、「日本語化」したと言ってよいだろう。 冷麺は広く知られているメニューであるが、岩手県では「盛岡冷麺」が商標をもつに至るくらい普及し、地元名産になっている。ピビンパプも広く知られるメニューになり、学校給食や職場の集団給食に重宝がられる「便利食」となっている。石焼ピビンパプはグルメとされ、ピビンパプチェーン店も出現した。 このような民族料理メニューを日本の食生活に普及させた原点が、同胞が始めた焼肉店そのものにあることをはっきりしておこう。 自信と努力で切り抜けよう この焼肉店が苦しんでいるのである。しかし、これを乗り切らなくてはならない。 嵐とも呼べる逆風に耐えて、どうやって乗り切ればよいのか。私なりの考え方を少し出してみたい。 多くの同胞焼肉店業者の方々が先行き不安を持っておられると思うのだが、ひとつ、嵐は必ずおさまるという自信を持って対処していただきたい。 焼肉という料理法は肉料理の中でも、もっとも肉の味を美味く出してくれる料理法といえる。直火で焼くからである。この味に馴れた人たちは、それを忘れることはできないし、いずれ「思いっきり」食べたいと待っている人が多くいることを知っておくことが大切である。先にふれたように、民族の食文化がすでに日本の社会に広く根を下ろしている。これもこの商売に携わっていた方々の影響があってこそのものであるということからも自信を失ってはいけない。自負を持ってほしい。 しかし、ただ自信と自負のみではいけない。努力が必要である。焼肉店の仕事に関わっている皆様方がたゆまない努力を重ねることがもっとも大切だろうし、特にメニューについての研究と勉強に力を注ぐべきだろう。 焼肉店経営者たちが料理そのものについて知識と技術をしっかり身につけてスタートしたケースはきわめて稀である。ただ「儲かる」ようだからやってみよう、というのが大部分だったと言っても過言ではない。 そこでこの際は、民族料理の科学と文化性などについてじっくりと勉強をしてみようという立場に立ってほしいのである。 自分の店でお客様に出している料理の材料のひとつひとつ、各種メニューの由来や健康価値について、いったいどれだけ知っているのだろうか。それは焼肉店に限ったことではないが、ただ美味しいから「どうぞ」という時代ではない。 焼肉のうまさのポイントはどこにあるのか、何故焼きすぎはおいしくないのか。キムチの価値はどこにあり、何故人気商品になったのか。冷麺は夏によく売れるメニューだが、元は冬の食べ物だった。ナムルに使われる大豆もやしの価値は何なのか。焼肉店にワカメスープが一品料理になっている理由は、ニンニクの価値、トウガラシの価値は…。 焼肉店関係者のみならず、家族で民族料理を楽しむ皆様方に、その科学性、文化性を知っていただこうと思う。 (チョン・デソン 滋賀県立大学人間文化学部生活文化学科教授) |