取材ノート

偏見乗り越える営み


 2日、国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で初めて行われた朝鮮学校生徒の芸術公演を取材した。

 記者が同園を初めて訪れたのは昨年5月、ハンセン病元患者らが日本政府に謝罪と補償を求めた裁判で見事勝訴を勝ち取り、世論が大きく動いた直後。裁判をたたかった同胞元患者に話を聞くための訪問だった。

 園内に足を踏み入れると11万坪の広大な敷地が目の前に広がった。スーパーに郵便局、選挙の掲示板まで。まさに1つの街が形作られていることに大きな驚きを覚えた。

 元患者らが「療養所という名の強制収容所」と表現したように、日本政府はハンセン病元患者らを隔離し、人間として生きる権利をふみにじってきた。逃亡がばれると監房で見せしめのリンチが行われた。

 全生園の「全生」の意は「生を全うする」ということ。「園の外の生活は認めない」ことを園名に冠してしまうほど、元患者への差別は「らい予防法」によって約1世紀もの間、正当化されてきた。

 ハンセン病に関する知識を詰め込み取材に挑んだが、らい菌による元患者の傷跡を見た時はどこに目をむけていいのかわからなかった。差別と偏見をなくそうと声高に叫ぶことや、知識を習得することにどれほどの意味があるだろう…。自分のもろさを痛感した。

 裁判の勝訴後、差別を生き抜いた元患者たちにスポットがあてられるようになった。この日の公演も同胞社会で徐々に理解が深まっていることの表れだろう。

 ハンセン病に対する非科学的な知識と偏見に基いた「らい予防法」は数多くの人生を奪った。その過ちを克服する営みは始まったばかりだ。

 「亡くなった同胞に見せたかった」と話す元患者のハルモニの言葉に胸が痛んだ。しかし、園内に響く子どもたちの無邪気なはしゃぎ声と公演を盛り上げた元患者の歓声に新しい何かが始まる予感がした。(慧)

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