女のシネマ

アレクセイと泉

村びと支える命の水


 ポーランドとロシアに挟まれたベラルーシ共和国の小さな村―ブジシチェ村。かつての黄金の穀倉地帯、600人の住民が暮らした肥沃な土地は、1986年4月、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の大爆発事故で甚大な放射能汚染を被った。その後政府の移住勧告によって、住民のほとんどが村を去ったが、55人の老人と1人の青年アレクセイが残った。これは、今は地図にないブジシチェ村の人びとの暮らしを丹念に追ったドキュメント。被災地の写真を撮り続けている写真家・本橋成一氏の、「ナージャの村」に続く監督第2作。

 原発事故を境に、村の全ては放射能に汚染。長い間耕してきた大地、畑のジャガイモ、茸の採れる森も。しかし、唯一、放射能の検出されないものが村の中心にあった。

 それは泉。水汲み、洗濯など生活の場として、季節や人生の節目の祈りの場として、手作りの十字架やイコンが奉られてあった。

 泉を中心に営まれる村の生活には、原子力による恩恵など何もない。畑仕事と家畜の世話が基本の自給自足の暮らし。働いて、食べて、年をとる―この根源的な生の味わいが、四季折々の暮らしからにじみ出る。

 収穫祭に興じる人々になごまされ、泉の洗濯場の木枠作りに発奮する平均年齢70歳の老人たちに、年を重ねることの値打ちを見る。

 何より、アレクセイの語りがいい。朴訥だが柔らかく、深い温かみがこもる。水汲みやコンバインの運転など、村の力仕事を一手に引き受けるアレクセイ。小児マヒの後遺症の残る肉体は、日々の労働によってむしろ逞しく鍛えられて頼もしい。彼が村を出なかったのは「泉の水が僕の中に流れ、僕を引きとめている」からと。

 村人の生活を支える命の水は「百年の水」として親しまれ、人々を結びつける心の拠り所として存在する泉。人間の愚かさ、罪をも受け入れるかのようにこんこんと湧き出る泉が、見る者の心にも浸み入る。104分。BOX東中野。(鈴)

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