ウリ民族の姓氏−その由来と現在(44)

荷車で食糧運び統一協力の柳氏

種類と由来(31)

朴春日


 柳氏は著姓の上位にあって、李朝時代には「10大姓」に数えられていた。いまの本貫は130余である。

 そのうち筆頭に挙げられるのは、文化県(黄海南道安岳郡一帯)の柳氏。始祖は柳車達である。

 族譜によると、当地の富豪であった彼は、高麗の王建が後百済を討つとき、数多くの荷車で食糧を運び、国土統一に協力した。そこで王建は彼の功績を讃え、「車達」という名を授けたという。

 一部の族譜では、文化柳氏の祖先を中国から来たとしているが、これもやはり李朝時代の作り話。それより、つぎの伝説の方がおもしろい。

 柳車達には孝金という息子がいた。ある日、九月山へ登ると、虎が口をあけて苦しんでいるので、よく見ると、のどに銀のかんざしが刺さっていた。虎が涙を流して頼むので、かんざしを抜いてやると喜んで走り去った。

 その夜、孝金の夢に虎が現れ、「わしは九月山の精だ。お礼に、子孫から出世する者が出るようにしてやろう」と告げたという。

 そのご利益かどうか、文化柳氏は高麗・李朝時代にかけて、多くの秀れた人材を輩出している。

 高麗の名臣・柳公権は、卓越した学識と書で隣国にも知られ、李朝の大臣・柳曼殊は倭賊撃退で名を上げた。

 実学の創始者・柳馨遠(リュ・ヒョンウォン)は、哲学・歴史・政治・経済・法律・軍事・芸術・医学などに精通した大学者で、代表作は「★(石番)渓(パンゲ)随録」26巻である。

 彼は生涯、野にありながらも、村人たちに飢饉や国防の対策として、食糧と武器の備蓄、造船と馬の飼育、武術の訓練などを指導し、深く敬慕された。

 また、柳得恭は「海東の盛国」といわれた渤海史研究の先駆者で、著書「渤海考」は貴重な史料である。

 貞州柳氏の始祖は、族譜では「千里の長城」を築いた柳韶(リュ・ソ)将軍とされる。しかし高麗太祖・王建の神恵王后は富豪・柳天弓の娘であるから、この氏族の歴史はもっと古いと見てよいだろう。

 豊山柳氏の始祖は柳節で、この一族を有名にしたのは、壬辰倭乱時の領議政(首相)柳成龍である。

 彼は祖国の危機を打開するため、名将・李舜臣、権★(りっしんべんに粟)軍を抜擢し、侵略者撃退の勝利をもたらすうえで大きく貢献した。著書「懲(比のしたに必)録」は歴史的文献である。

 晋州柳氏の始祖は柳仁庇で、丙子胡乱(清の侵入)時に活躍した柳琳、壬辰倭乱時に勲功を立てた柳★(王林)、また虎を仕留めたことで「猟虎将軍」と呼ばれた柳赫然など、この一族には勇将が多い。

 そのほか主な本貫と始祖は、全州・柳邦直、瑞山・柳成澗、高興・柳英、善山・柳元庇・霊光・柳★(王行)、陸昌・柳世英、白川・柳仁景、延安・柳宗揆などである。

  次回は黄氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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