そこが知りたいQ&A

「国民基金」が南での支給事業を終了させるが

国の責任不問、欺まんに満ちた「償い」
性奴隷被害者、支持者ら当初から中止要求


   旧日本軍の性奴隷にされた各国の元「従軍慰安婦」に対し、民間の募金をもとに「償い金」などを支給してきた「女性のためのアジア平和国民基金(国民基金)」が、南朝鮮での事業を終了すると報じられましたが。

   「国民基金」は2月20日の記者会見で、南朝鮮での「償い金」などの支給事業を、5月1日までの申請受け付け分をもって終了すると発表しました。

 しかし、本来の終了期限は1月10日でした。また南ではこの3年間、当事者や政府の反対により同基金の事業は停止状態にありました。つまり、今回の発表は事業の終了宣言ではなく事実上、事業の再開、延長宣言と言えます。

 韓国挺身隊問題対策協議会は21日、「ハルモニたちを誘惑して受け取り者数を増やそうともくろんでいるとしか考えられない」と抗議するコメントを発表。事業の即時中止と被害者の声を無視した過去の事業強行への反省と謝罪を促し、日本政府が公式謝罪と法的賠償を行うよう改めて要求しました。この問題に取り組んできた日本の市民団体や個別の人士も25日、共同で抗議声明を発表し、日本政府に同様の要求をつきつけています。

   なぜそんなに反発を招いているのですか?

   そもそも「国民基金」が、日本国民の善意を盾に日本政府の責任をあいまいにする、欺まんに満ちたものだからです。

 「慰安婦」問題が浮上したのは90年代に入ってからです。91年、南朝鮮で初めて直接の被害者が名乗り出て、日本政府を相手取り補償を求めて提訴しました。フィリピン、オランダなどの被害者も続き、日本政府に公的な謝罪と補償を求める動きは内外で高まりました。国連など国際機関もこの動きを後押ししました。

 日本政府は93年8月、当時の河野官房長官が「お詫びと反省の気持ち」を表明し、具体的検討を約束しました。そして2年後、敗戦50年を迎えた95年に、当時の村山内閣が創設したのが「国民基金」です。

 被害者や支援者、各国政府は、日本政府が自国の軍隊が過去に作り出した「慰安婦」制度に対する責任を国として取り、公式に謝罪し、補償することを求めていました。しかし「国民基金」は、その名が示すとおり、民間から募金を集める民間の団体(財団法人)です。日本政府は、「国家賠償は解決済み」だという見解のもと、「国民基金」を「支援」するという立場でその発足を「主導」しました。反発は当然のことでした。

   その後の経緯は。

 A  南朝鮮では97年1月から5年の期限で、「償い金」200万円と首相の「お詫びの手紙」の支給などが始まりました。同年に7人の被害者が申請、受給したものの、国家的な謝罪と補償を求める多くの被害者は受け取りを拒否しました。彼女らに対し、金大中政権は98年5月から約300万円の支援金の支給を開始し、「国民基金」に反対する姿勢を明確にしました。

 基金側は医療施設建設などへの転換も検討しましたが、99年、南の政府は改めて拒否を通告。事実上、99年7月から南での事業は中断された状態でした。

 台湾当局も97年、名乗り出ている被害者42人に200万円を建て替え支給し、国家補償を求める被害者を支援しました。

 一方、国連人権委員会をはじめ内外の多くの機関も日本政府のやり方を批判し、根本的な解決を促してきました。日本政府は、国内向けには国家的責任を認めず、あくまでも民間による基金だと説明しながら、国連などの場では、「国民基金」が日本としての誠実な対応だと主張する二枚舌を使ってきましたが、結局そんな欺まんは通じませんでした。

 当事者に感謝されるどころか非難され続けた「国民基金」。これでは、純粋な気持ちで募金を寄せた日本市民も報われません。その出発点から間違いだった「国民基金」の強行は、被害者らの神経を逆なでして日本に対する不信感を増幅させただけで、明らかに日本政府の失策でした。

 この5年間の教訓から、このような欺まん的な方法では問題が永遠に解決しないということを、日本政府は肝に銘じなくてはなりません。必要なのは、被害者の声に誠実に耳を傾けること―国家的な謝罪と補償です。

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