「民族の精気を守る国会議員の集い」と「光復会」
親日派708人のリストを公開
日本による植民地支配下で親日活動を行っていた708人の人物リストが、2月28日南朝鮮で公開された。南朝鮮で親日派の名簿が公開されるのは解放後57年の間で初めてのこと。また、パン・ウンモ朝鮮日報前社長やキム・ソンス東亜日報前社長など、南の社会で相当な影響力を及ぼしてきた人物も多数含まれていることから、彼らに対する再評価をめぐり政界はもちろん全社会的に民族自主勢力と反自主勢力が厳しい対立の様相を呈している。
57年ぶりの「快挙」 今回親日派リストを公表したのは、昨年6月5日に発足した「民族の精気を守る国会議員の集い」という超党派の若手グループ。3.1独立運動の継承をうたった憲法精神に則り、独立愛国精神の発掘および日帝時代の残滓(し)の清算をはじめとする、現代史の再検証を通じて民族の精気を高揚させることを目的に発足した。 「議員の集い」は28日国会議員会館で記者会見を開き、その間「光復会」と共に審査してきた「日帝下での親日反民族行為者」692人の名簿と彼らの具体的な行状を明らかにした。「議員の集い」はまた、「光復会」が発表をはばかっていた16人に対しても自主的に親日派と断定し、リストを発表した。16人の中にはパン・ウンモ氏やキム・ソンス氏のほかに文化・芸術界の6人、学界や政界の大物の名もあがっている。 ソ・サンソプ「議員の集い」審議委員長(ハンナラ党)は記者会見で、「16人については、社会に残した功績もそれなりにあるとともに現に影響力を持っており、公開するか否かで論議があった」としながら、「しかし彼らが植民地時代に犯した親日行為は歴然としたものであり、今回、公開に踏み切った」と話した。 「議員の集い」の会長であるキム・フィソン民主党議員も、「親日、反民族行為者の罪状を明らかにすることは国民生活の最高道徳規範であり、民族の正統性を守ることにもなる」と述べながら、「歴史の審判には時効がないという思いから名簿を発表した」としている。 今回親日派リストを作成した「光復会」では、現会長であるユン・ギョンビン氏の99年の就任からこの作業を地道に行ってきた。ユン会長はリスト作成を始めたきっかけについて、「まず歴史的な断罪が必要だと思ったから。私たちは多くの犠牲を払って独立したにもかかわらず、同族を密告したり挺身隊や徴用を率先した売国勢力に対する処罰が半世紀以上なされてこなかった。2つ目には統一に向けて南北間における歴史認識の共通性を模索するためだ」と話している(「ソウル経済」01年8月12日)。 66.3%が「望ましい」 朝鮮解放後半世紀以上過ぎたこんにち、南朝鮮で親日派の清算問題が大きな社会政治問題として世論の注目を浴びているのには、それなりの理由がある。朝鮮解放当時、北半部地域で植民地下での売国行為を厳しく追及された親日派は、米国が支配した南半部地域に逃亡した。 親日派に対する追及・断罪は、南では民族主義勢力によって行われた。日帝支配下での悪質な反民族的行為者を調査、処罰するため1948年9月に国会に設置された「反民族的行為特別調査委員会(反民特委)」の活動もそのひとつ。 しかし当時李承晩に反共政権を担わせることを目論んだ米国は、親日派勢力を温存し米国に取り込むことにより李承晩政権の基盤とし、反民特委などの民族主義勢力を弾圧、瓦解させたのである。 このような経緯から南朝鮮では親日派が断罪を免れ生き残ったばかりでなく、米国のひ護のもとに政権の中枢に入り込み社会指導層を形成しこんにちに至っているのである。親日派が既得権勢力として残ってきたことで、南の社会には少なからぬ弊害が及ぼされてきた。 この状況を打開しようと南の民族自主勢力は解放後57年間、さまざまな形で親日派清算の試みを地道に展開してきた。その結果が今回のリスト発表につながったと言えよう。また、今回の親日派リスト発表について、南の66.3%の人が「過去のことでも過ちは正すべきなので望ましい」との意見を持っているという事が、ハンギョレ新聞の世論調査によって明らかになった。 リストの発表自体は小さな1歩かもしれないが、親日派清算を求める社会的なうねりを形作るうえでの大きな転換点になったということは間違いなさそうだ。 |