「死ねということなのか」

在日被爆者協会の李会長 訪朝報告会
日本政府の在外被爆者切り捨て策など協議


 日本政府は昨年12月、被爆者を救済する唯一の法律である被爆者援護法の対象から在外被爆者を排除することを決めた。この決定を受け、李実根・在日本朝鮮人被爆者連絡協議会会長(広島市在住、72)が2月14〜21日、朝鮮民主主義人民共和国を訪問し、被爆者・被爆者団体と意見を交換した。1日、広島市の広島平和記念資料館で開かれた報告集会で李会長は、在朝被爆者の怒りの声を伝えるとともに朝鮮で新たに1000人近くの被爆者が確認されたことを報告した。

差別いつまで

 厚生労働省の決定は、被爆者健康手帳が日本国内においてのみ有効であることを法令に明記するというもの。つまりこれは、在外被爆者を援護法の適用から除外するということにほかならない。日本政府はその代わり、3年間を期限に被爆者が渡日治療する場合の旅費を補助することも決めたが、この決定は援護法適用を求めてきた在外被爆者を大きく失望させた。

 李さんは、朝鮮で反核平和委員会副委員長や朝鮮被爆者協会書記長ら被爆者団体関係者をはじめとする在朝被爆者に会い、日本政府の決定を伝えた。彼らは「到底受け入れられない」と口をそろえて憤激していたという。

 「朝鮮の関係者たちは異口同音に『日本政府はわれわれに死ねといっているのか』と怒りの言葉を口にしていた。3年間で渡日治療をするというが、日本との間に国交のない朝鮮の被爆者にとっては実現が極めて難しく絵に描いた餅だ。日本政府は敗戦後の57年間、朝鮮にいる被爆者に謝罪の言葉1つかけたことがない。みな、日本政府はいつまで差別を続ける気かと落胆していた」

 李会長は、日本の植民地支配によって在朝被爆者問題が生まれたにもかかわらず、日本政府が国交がないことを口実に半世紀以上も彼らを放置し続けたことを強く非難した。

在日、北南が協力を

 朝鮮反核平和委員会の調査により、2000年までに判明した在朝被爆者の数は928人(生存者)。しかし、今回李会長はその後の調査の進展により新たに1000人近い被爆者が確認されていることも明らかにした。

 朝鮮では反核平和委員会が結成された95年から、被爆者に対する本格的な調査が始まった。今まで判明していた人数は59年以降に日本から帰国した被爆者の数。このたび新たに確認された1000人は59年以前に帰った人たちで、李会長が長崎県原水禁などから入手した名簿をもとに現地で調べたものだ。2カ月後に名簿が完成するという。また99年に平壌で開催した原爆写真展を再び開くことも検討されているという。

 在朝被爆者を救済するため、たびたび朝鮮を訪問し実態調査や関係者との協議を進めてきた李会長の訪朝は今回で12回目となる。日本では外務省や行政、広島、長崎の被爆者団体に在朝被爆者の置かれた窮状を伝え、救済措置を求めてきた。

 李会長は、在朝被爆者が高齢で後遺症に苦しみ続けている点に触れ、「余命いくばくもない彼らにどんなことがあっても救いの手を差し延べなければならない。彼らの願いを受け止め、日本政府に謝罪と補償を求める運動を全国に働きかけたい」と意欲を述べた。

 また、運動を盛り上げるためには北南、在日の被爆者や関連団体が力を合わせることが重要だと強調した。

 在日本朝鮮人被爆者連絡協議会と南朝鮮の市民団体「原爆被爆者と共にする市民集会」は昨年7月に南で集会を共催し、共同声明を発表している。李会長は問題解決のために今後も北南、在日の交流を続けたいと語っていた。

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