閑話休題
学びたい欲求
「成人学校」での喜び 今も
同胞社会には元気がいい女性たちがいっぱいいる。大阪のある女性は5人の母。66歳。正確に言うと両親を早く亡くした末弟を高1の時から引き取って、大学まで出して、結婚もさせたので、6人を育てたことになる。夫を早く亡くし、来る日も来る日も、朝早くから夜遅くまでミシンを踏んで生計を支えた肝っ玉オモニである。子供たちも母の背を見ながら成長し、よく勉強をした。末っ子はハーバード大学に学び、今では日本の大学で宇宙工学を教えている。
雑事から手が離れた彼女はやっと自分の時間が持てるようになり、今は夜間中学に通う。育ててもらった弟が語る。 「姉さんがいつ寝ているのか、子供心に不思議だった。子供たちが寝静まった深夜、ミシンを踏む規則正しい音がいつも響いていましたから…」 その姉は習いたてのひらがなで、「弟が一生懸命勉強して、大学に入ってくれたお陰で、貧しい家庭でも努力するとああなれると私の子供たちに無言の励ましを送ってくれた。弟のお陰で子供たちも立派に育ってくれました」と夜間中学の作文に書いたと言う。 人間には誰しも学びたいという欲求がある。総聯が取り組んだ活動で、誇れるものの1つが、成人学校だったと思う。最も盛んだったのが60〜70年代にかけて。その頃のことは実体験として知らないが、この2年間、出会った多くのハルモニたちのほとんどが、「成人学校で朝鮮語を読み書きできるようになった」と語っていた。 40年近く過ぎても心に深く刻まれた「感謝の言葉」には重みがあった。(粉) |