取材ノート
コッソンイ応募ありがとう
ウリハッキョに通う子どもたちを対象にした唯一のウリマル作文コンクール「コッソンイ」。本社主催のコンクールが今年度で24回目を迎えた。
その審査に携わる過程で目にとまった作品があった。 作者は某朝高3年の男子生徒。3年前にアボジと南朝鮮から日本へ来たいわゆる「ニューカマー」だ。 本国出身の彼にとって級友がしゃべるウリマルは「日本語と韓国語をミックスした勝手な言葉」。おまけに彼らが自分にひどく「干渉」するのが嫌でたまらなかったという。 ズボンからシャツがはみ出ていると「入れろ」、制服のネクタイをしめていなければ「しめろ」。誰かが泣けば慰め合ってともに泣く級友たちは「パボ(バカ)の条件をすべて備えていた」と彼はつづる。一人暮らしをしている自分に毎日弁当を包んでくれたが、「同情にしか思えなかった」。 しかし、彼は級友や先生の「干渉」によって変わってゆく。「感情がなかった自分が人間の情を感じるようになり、笑いが増えた」。 残念ながらこの作品は入選しなかったが、私は気に入った。時代が変わっても変わらないで欲しいウリハッキョの「よさ」がにじみでていたからだ。その作品が卒業文集に載ったと聞き、とてもうれしかった。 国際結婚、ニューカマー…、同胞社会の多様化が叫ばれて久しいが、現場にいる子どもたちはさまざまな変化や違いを受け止め、そしてそれを乗り越える過程で新しい発見を続けている。「コッソンイ」の応募作品には、子どもたちの目線で見た同胞社会の「今」が新鮮に「切り取られ」ている。 ましてや多くの子どもたちにとって母語ではないウリマルで思いを表現する営みは、育ち行く彼らの民族心に新たな息を吹き込んでいるに違いない。作品を読みながら毎年このことを感じ、「コッソンイ」の意義を再確認している。(慧) |