閑話休題

柳寛順生誕100年

蛮行にも屈せぬ叫び 「独立万歳!」


 今年は3.1独立運動に参加して、獄死した柳寛順の生誕100年。

 ソウルや故郷天安市では生誕100年にちなんで、「柳寛順烈士生誕100年記念事業推進委員会」を発足させた。ドキュメンタリー作成やシンポジウム、パンソリ「柳寛順烈士歌」、4月には舞踊劇、9月には、オペラ「柳寛順」、10月には「追慕音楽祭」、人形劇、特別展、写生大会、詩作コンテストなど多彩な行事を予定している。

 柳寛順は梨花学堂(現・梨花女子大学)で学ぶ勉強好きな少女だった。

 1919年、ソウルの反日の叫びは、大地を揺るがすばかりだった。これに勇気を得た寛順も故郷に帰り、独立運動の先頭に立った。運命の日、寛順のよびかけに群衆はあらしの歓呼で応えて、日本の憲兵隊分遣所に向かった。憲兵らは群衆に向け、銃弾を撃ち込み、それが寛順の父・柳重権に命中した。怒った寛順らはひるまず立ち向かった。そこに日本の応援部隊が襲いかかった。「たちまち修羅場と化した。憲兵たちは群衆の中になだれこんで、無差別に銃弾を撃ち込んだ。…柳寛順の母・李氏も銃弾にあたって死んだ。青新学校校長・金球應も銃床で頭蓋骨を砕かれた後、めった刺しに刺し殺された。金球應の母・蔡氏は、なぜ息子を殺したんだと憲兵につかみかかった。その母親も刺殺された」(「李朝滅亡」、片野次雄著)。

 投獄された柳寛順は拷問を受け獄死するが、最期まで「独立万歳」を叫び続けた。日本帝国主義の残忍な蛮行は、寛順を黙らせることができなかったのだ。今もその叫びが私たちの胸を熱く揺さぶる。(粉)

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