朝鮮の食を科学する(3)

世界に広がるトウガラシ

現代生活のアクセント、抗ストレス作用も


 いまトウガラシの辛味の文化がかつてない勢いで世界的な広がりを見せているという。アジアから中欧へそして北欧へと伝播の速度が早まっているのである。

米国からスペイン、地中海沿岸諸国へ

 トウガラシという植物が文明社会に知られるのは、コロンブスの「新大陸発見」によってである。1492年に熱帯アメリカ原産のトウガラシがスペインに持ち帰られた時は、新しい辛味物質は銀と同重量で交換された。初めは「赤色の胡椒(こしょう)」と思い込み「レッドペッパー」と呼んだ。瞬く間に地中海沿岸諸国の生活に取り入れられた。イタリア、スペイン、ポルトガルなどの料理が辛いのは、このためである。

トウガラシは「万能の薬」

 約50年後、これがアジアにやってくる。記録では1542年に、日本の大分県にポルトガルの宣教師が持ってきている。朝鮮の記録は1613年に編された「芝峰類説(チボンリュソル)」(李★〔日偏に卒〕光)が最初である。それには「南蛮草には大毒が有り、倭(にほん)から来たので倭芥子(ウェギョジャ)と呼ぶ。これを焼酎に入れて飲み、多くの人が死んだ」と記されている。

 焼酎を飲んで死んだ理由はともかく、トウガラシが倭(日本)から伝わったものであり、辛い味を大毒ととらえていたことが分かる。つまり朝鮮の17世紀初の生活ではあまり好ましいものとは受け止めてはいない。17世紀末の慶尚北道の家庭料理書「飲食知味方」にも漬物のつくり方はみられるがトウガラシはいっさい出て来ない。香辛料としてもない。

 トウガラシが生活に必要なものとして記録にみられるのは「山林経済」(1715)で栽培法が記されている。「大毒あり」とされてからほぼ100年が経っている。その50年後の1766年に、この書を補った「増補山林経済」に初めてトウガラシを使った漬物つまり今のキムチタイプが出てくる。

 トウガラシが庶民の食生活にポピュラーな材料となるには相当な歳月が必要だったことが分かる。それでも先に知った日本の九州とは違い生活の中にしっかりと取り込まれるようになったのは、いくつかの理由がある。

画期的なコチュジャンの出現

 ひとつは腐敗防止の食品保存効果である。漬物類にはすでに他の香辛料である山椒、ニンニク、蓼(たで)、生姜(しょうが)、芥子(からし)などが使われていたが、それよりも辛味の強いものがトウガラシだったので、これが主流になっていく。

 「椒★〔豆に支〕(チョシ)」と呼ばれた山椒みそがあった。この山椒の代わりにトウガラシが使われ、コチュジャンになり19世紀ごろから広まりだすのである。朝鮮料理が辛くなった大きな理由はコチュジャンという調味料が出現したことであろう。

 トウガラシの辛味成分のカプサイシンは別な生理作用を持っている。

 辛味成分は体内に入ると胃腸を刺激し消化液の分泌を促す。辛いキムチを食べれば、野菜の食物繊維とともに食事の消化を助けてくれる。料理の調味料の価値も同じである。

 辛味のカプサイシンの単独の生理作用についていくつか確認されている。

 ひとつは抗ストレス作用である。辛いトウガラシを食べて強い刺激を受けると、血のめぐりがよくなり、体温が上昇し、発汗する。からだがすっきりしたような充実感がみなぎる。これは「エンドルフィン効果」と呼ばれている。カプサイシンの強い刺激を取り除き通常の状態に戻そうとして、体内鎮静剤のエンドルフィンを分泌する。エンドルフィンは一種の「快感ホルモン」といわれるのはこのためである。辛い、辛いと言いながらもっとトウガラシが欲しくなるのは、これである。辛いものを食べ終わるとすっきりと気持ちよくなるのは、この効果なのだ。

 さらにカプサイシンは脂肪の分解を速め、エネルギー代謝を高め、いわゆるダイエット効果をもたらしてくれる。

 体力と神経を消耗する現代生活に節目をつくってくれるのが、トウガラシであることが分かってきている。また、トウガラシにはビタミンA、Cが豊富で栄養的にもすぐれている。

 民族の生活文化となった辛い味のトウガラシは、21世紀のいま、世界にもっと広がろうとしている。(滋賀県立大学教授)

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