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私がチョゴリを着る理由(ワケ)


 卒業式・入学式の季節になりました。

 子供が3人いると、幼稚園の入園式・卒園式と、(ウリハッキョ)初級部の入学式が、数年の間立て続けにあります。子供たちが中級部から高級部になると、また式が続くことになるでしょう。

 私は式にはチョゴリを着ていきます。

 チョゴリを着ていくと、「えらいなあ」と声をかけられます。「えらいことなんかない。何を着ていくか、まどわされないから楽よ」と答えます。

 私は大学まで一貫して日本の教育を受けてきたのですが、小学校4年生から授業に新しく道徳の科目が加わりました。

 その授業で初めて私は「差別」という言葉を知り、在日朝鮮人が「差別」の対象であることを認識しました。

 もちろん、幼い頃から自分が朝鮮人だとわかっていたし、近くの友だちの家とは少し勝手が違うことも知っていました。

 でも、まさか朝鮮人が学校の授業のなかで取り上げられ、どうしたものかと話し合わなければいけない存在だとは思ってもみませんでした。

 学校では通名を使っていたし、ごく親しい人にしか朝鮮人だと打ち明けられないでいたので、直接的な差別は受けませんでしたが、学年が上がるにつれ、自分だけが違うんだという疎外感と、どうして「チョーセンジン」に生まれてきたのかという劣等感が増していきました。

 その道徳の教科書の中で今でも忘れられない話があります。

 在日朝鮮人の6年生の女の子は、卒業式がくるのがいやでいやでたまりません。その理由は女の子のお母さんが、卒業式にチョゴリを着てくるからです。娘の門出の祝いにチョゴリを着ていくことになんのためらいもないお母さんに、「着ていくのはやめて」と言えない女の子。みんなに朝鮮人だと知られたらどうしよう…。卒業式の当日、こわくて入口の方を見ることができず、ひたすらうつむいています。まわりの気配からお母さんが来たことがわかり、いっそう小さくなる女の子。でも、チョゴリ姿のお母さんを同級生たちがきれいだとほめてくれ、その女の子の心配も取り越し苦労だったという話です。

 当時の私は、「あーわたしのお母さんは、こんな大胆でなくてよかった」と胸をなでおろしたものです。

 今思えば、なんと屈折した考えにとらわれていたことか。しかし、朝鮮人として堂々とふるまえるよりどころがなかったのだから、当然だったとも思えます。

 あの頃の暗うつで卑屈だった私を忘れないためにも、子供たちの卒業式や入学式にはチョゴリを着ていきます。

 近い将来、子どもたちが「オモニ(お母さん)、なんでチョゴリ着ていくの」と尋ねれば、日本の学校に通っていた頃のこと、朝鮮人として堂々と生きていくことの大切さ、アボジとオモニ(父と母)がウリハッキョ(朝鮮学校)で何を得てほしいと願っているのか、子どもたちに話してあげようと思っています。(呉清江、兵庫県在住)

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