「輝け!働く女性たち」への反響
職場、社会の意識改革必要
東京・金聖蘭 大学を卒業し教壇に立ってはや20年。1人の「働く女性、母親」であるが、「仕事、家事、育児」をバランス良くこなしているとは到底言い兼ねる。 自責の念に駆られ自己嫌悪に陥ることもあるが、その度に私を奮いたててきたのは「オンマ、おしごとがんばってね」と、保育園のベランダから小さな手を振って見送ってくれたわが子の笑顔と、民族教育の現場で若木のように成長する生徒の姿を身近にする喜びがあったからだ。同じ志を持つ夫もまた、心の支えであった。女性であること、働くということを真剣に考えられるようになったのは、子供を産み育てるようになった頃かなと思う。 「働く女性」の最大の難関は出産と育児ではないだろうか。私自身は3カ月の産休後に運良く保育園が見つかったが、子供の急な病気や園の行事などに四苦八苦していた。 講師として復帰したが、日々の矛盾は膨らみ、「仕事優先」でいられる夫に対する不満や、理想と現実の間で悶々とした時期があった。そんな中で私は人を支えるだけでなく、人に支えられることの大切さを家庭や職場で学んだ。働く女性として自分の弱さに涙し、時には強さに励まされながら、自分の足でしっかり歩んできたという自負と誇りがある。 オモニ教員は家事、育児の協力をしてくれる身内の援助がないと「職場の負担になる」という厳しい意見や、「女性であることを盾に甘えるのはダメ」という意見は慎重な解釈が必要だろう。ともすれば女性や子供を負担とし、弱者に対する排除につながりかねない。次世代の同胞社会を担う子供たちの健やかな成長は、子育て期の女性と男性をいかに職場や社会で支えられるかという意識変革にゆだねられている。女性と男性が互いを理解し、尊重し合えばこそ私たち女性はより輝けるはずだ。自分の可能性を信じ、私はもっと輝きたいと心から願っている。(教員 41) 子育て、家事は夫と分担 大阪・金民樹 私が働く理由は、同胞社会への貢献、恩返し、それから自分自身の居場所探し、経済的理由といったところでしょうか。女性同盟大阪府本部で専従職員をしているので、職場は全員女性、しかも皆子育てを終えた先輩たちなので、法事や冠婚葬祭、子どもが病気の時などは、有休はないものの対処はしてくれます。 子育て、家事は夫と分担。というか、時間のある方が率先してするようにしています。たまに、お互い疲れて帰ってくると、なすりつけ合いになりますけどね(笑)。なので、乾燥機付き洗濯機と食器洗い乾燥機を必ず買う! というが、特に夫の要望です。 私は女性同盟の仕事以外にも、演劇(文芸同)の練習をしているし、夫は学校や、支部の活動で夜家を空ける事が多いので、2歳になる子どもの面倒は、お互いスケジュールを調整しあってするけれど、2人とも無理な場合、私や夫の実家に協力をお願いしています。 今は子育てで重要な時期なだけに、できる限り保育所から帰宅して就寝までの時間を、家族3人で過ごそうと努力はしているものの、私も夫も子どもも1度しかない人生なので、どれもこれも優先順位をつける訳にはいかない。ひとむかし前までは、女性は「○○のオンマ」の枠にとらわれて、自分の人生について考えることすら難しかったですよね。世の男性方は、たとえ家の中では協力してくれていても、それが外に知れることは恥ずかしいみたい。 同胞社会での男女同格はまだまだですね。世論喚起のため、女性たちがこれからも声を上げるのと同時に、会社で、各々立派に仕事をこなしてゆかなければ、と思います。(女性同盟職員 27) 同胞社会の「男尊女卑」克服を 本紙「女性」欄で、4回にわたり「輝け! 働く女性たち」を連載してきた。 きっかけは、出産のため退職することになった先輩教員の例。結婚、出産を期に職場を離れる女性は多いが、彼女の場合は本人に続けたいという強い意思があるにもかかわらず、退職を余儀なくされたのだった。 その背景には、「深刻な経済難」という事情があったのだが、問題の根底には女性を仕事上のパートナーとして見なさず、排除する対象として見ている…という感を拭い去ることはできなかった。なぜ、オモニ教員ばかりがリストラの対象として見なされ、アボジ教員は家庭や育児を顧みないのか(そういったシステムが整えられていないのか)。この構造的なゆがみを解決するために学校だけではなく、同胞社会全体に一石を投じたかったのだ。 なぜなら、現代女性たちのライフスタイルは実にさまざまで、私の周りだけを見ても、結婚、家庭、育児…といった画一化された図式にはめ込まれることを窮屈に感じる女性たちが多いからだ。特に同胞団体や事業体などで働く女性たちは、20代半ばを過ぎると「居心地の悪さ」を感じる人が多く、日本の会社に転職する例も多い。 この間、取材に当たりながら、問題の難しさを端的にあらわしたのは、「実名を明かさないことを条件」にするひとが多かったということだった。この問題に触れることは、まだまだ狭い同胞社会においてタブーなのだ。 自己実現のため、経済不況のさなか生活を支えるため、などと、女性が働く理由はさまざまである。 女性が自らの能力を生かすために社会進出するのは、朝鮮半島、日本のみならず世界的なすう勢である。しかし私たちの社会は男尊女卑という悪しき習慣を克服したとは言えない。民族差別に憤慨しても性差別には鈍感な人が多いのはなぜか。このことに気がつかなければ、家庭や職場、社会をより良く変えることはできない。 女性の中にも優れた能力や知性、情熱を持った人材はたくさんいる。同胞組織の中でも、女性同盟だけではなく全ての面において女性の意見を積極的に取り入れてみてはどうだろう。人間味豊かな同胞社会を形成するうえでも、「男女共生」の視点を欠くことは、許されないことだと思う。(金潤順記者) |