それぞれの四季

「汚染」家族

李明玉


 生後1カ月の娘に授乳していると、ああ、私って哺乳類だなぁと実感する。毎朝、牛乳を飲むが、娘にとっての私は、私にとっての牛乳屋でも酪農家でもなく、牛ではないか。しかし、私を食べる者はないので、食物連鎖の最高位に位置する私の乳を飲む娘は、さらに高位にいることになる。

 環境を汚染すると、最も凝縮された形で娘に戻ってくる。わかっちゃいるけどやめられないのが紙おむつだ。紙とはいうが、中にある高分子吸収体が水分を吸うのだ。その吸収力のすごいこと。これが自然界に少しずつ広がり、生物の体に入り、体液を濃縮させると主張している人もいる。娘のSサイズと息子のパンツ型おむつに、私の母乳パッド。まさに汚染家族だ。恐ろしや。

 昨年の正月、義母の家に泊まり銭湯へ行った。義母の家へ帰り、洗濯機をまわした。終了のブザーと同時に義母の叫び。紙おむつを一緒に入れてしまったらしく、最高潮に水を吸ったゼリー状の高分子吸収体の粒が無数に洗濯物に張りついている。それを1つ1つ取る作業は、40数年焼肉屋を営んできた義母をして「アイゴ、仕事よりしんどいわ」と言わしめる程だった。よりによって、義母の家で…。以来2度と同じ失敗はしていない。痛い目を見ないとやめられないのは、人の性か。いや、私の性か。

 今日も、私も汚染した環境で作られた食物が食卓に並ぶ。「オンマ、これ死んでるやんなぁ」。息子の声に振り返ると、皿の上で焼き魚が湯気をたてている。過去のさまざまな公害事件が頭をよぎる。哺乳類だけど、人間は別物だ。(主婦)

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