インタビュー この人と語る

汚染された土壌のように沈殿する朝鮮蔑視観

川村学園女子大学教授・ジェンダー史家 若桑みどりさん




 ――若桑さんの近著「皇后の肖像」や「戦争がつくる女性像」…。専門の美術史の枠を越えて、どれをとっても近代日本への胸をすくような批判をなさっていて感嘆しています。

 ●日本のように論争のない社会、仲間褒めの社会では、私のように自分が世話になった人や仲間たち、偉い男の先生を批判するというのは、身の危険を感じるような大変なこと。日本の美術史家が、これが美しいとか、素晴らしいとか、傑作だとか、非政治的なディスクールばかりやって、その美術を産み出した社会あるいは近代国家のもつさまざまな暗黒や矛盾を切り捨ててきたことすべてをひっくり返し、メスを入れてきたわけだから。

 例えば「裸体(ヌード)」。明治美術行政の最高権威にまでのぼりつめた黒田清輝がフランスから受け入れた。日本の画家たちは日本帝国が富国強兵政策によってその体制を固め、アジアと世界へ軍事的侵略を拡大する「男性的」な時代すう勢の中で、ひたすらヌードを描いた。そこにイデオロギー性、社会性、批判性はなく、画家は公的領域ではなく私的世界に囲いこまれ、女性的領域に自らを幽閉した。ヌードを描いたピカソが同時に「ゲルニカ」を描いてナチズムに反対したのとは違う。

 日本帝国は植民地支配をした朝鮮や侵略した中国では、チョゴリや「支那服」を着た女性を描くことを奨励した。これは民族服=女性=植民地=征服という図式を表わしたもので、その対極にあるものが男性=軍人=近代国家というイメージだったのである。

 面白いことに1945年以前には、日本国内の銅像は、大村益次郎や乃木希典、楠木正成、西郷隆盛などの軍人だった。言うなれば、日本を軍事国家に仕上げた者たちである。45年以降はガラッと変わってヌード像が立つようになった。これは、支配者の米国に対して、「日本は武装を解きました」と恭順の意を表現しているのである。

 こういう状況は、日本近代がいかに芸術を社会的に無害なものへ脱色する政策を取ってきたか、それに対して芸術家たちがいかに無力に従ってきたかを端的に示している。

 ――「皇后の肖像」の中では、天皇制国家がいかにして、女性を国民化していったかを鮮やかに提示されましたね。身辺は大丈夫ですか。

 ●相手側に読む力がないようなので大丈夫そう……。古代に「日本国」という国家ができた時の反新羅の姿勢が明治以降増幅された。神功皇后の「三韓征伐」の伝説と秀吉の「朝鮮征伐」の論理が結びついて、明治政府の朝鮮侵略が展開されていった。つまり、神功皇后は神の子を産み、神を胎内に置く皇后が「三韓征伐」したという、日本の国体と威信の確認、帝国主義的天皇制新国家体制のすぐれた表象であり、同時に国家における女性の母としての役割を称揚するものとなったのである。

 明治政府は神功皇后を紙幣の肖像や絵画に取り上げる一方、日本が神の子孫=天皇の統治する国であるという記紀の神話を「事実」として女性たちに教えた。神功皇后と明治の昭憲皇太后への崇拝を結びつけることによって、国威発揚と開化のシンボルとしていったのである。このような女性の「国民化」の過程で、朝鮮蔑視(べっし)観が深く根を下ろしていった。

 残念ながら、朝鮮蔑視観は現在にいたるまで、日本人の心の中に、ダイオキシンに汚染された土壌のように3〜4世紀を経てもおりのように沈殿したままである。

素顔にふれて

 ジェンダー史学の立場で日本の近代の成り立ちを、あらゆる領域で問い直してきた。6月には「韓日現近代美術とジェンダー」についての国際シンポ出席のため、ソウルに飛ぶ。

 時代や歴史、文化や芸術についての紋切り型で退屈な権威主義や常識を打ち破る鮮やかな闘いぶり。御用学者の言説をバッサリ切り捨てるさっそうとした姿は何ともカッコいい。

 それは男の牙城・東京芸大、美術史学会の男性教授たちとの30年にわたる激しい闘いによって、培われてきた。社会に参画しつつ絵を描く芸術家を黙殺し、無視する社会。現実から逃避し、ドロップアウトしているのに特権的な地位を与えられている画家たちをもてはやす風潮を容赦なく批判する。

 「男性の、それも極めて『正統的』と見られている美術史観、あるいは『権威ある』芸術学……。こういうものを批判する研究を私はやってきたのです。そのために徹底的な差別を受け、ひどい目にあってきた。しかし、私の本は売れるし、講演の依頼もひっきりなしに来る。私はひるまないし、闘い続けます」

 男社会で女性が闘い続ける場合のアドバイスを聞くと、「ヘビのように賢く、羊のように清らかに」という答え。日本の政界でのこのところの女性議員排斥の動きを見ても、共感できる。

 若桑さんの情熱、エネルギッシュな行動力の源はどこにあるのだろうか。

 「社会において、歴史において、見えないものとなっている女性を、社会や歴史の中で見えるものにしたい」という強い欲求であり、明治以来、社会批判や思想性を抜かれ、骨抜きにされた芸術の本来の力を取り戻したいという希望ではないだろうか。
(朴日粉記者)

プロフィール

 わかくわ・みどり 1935年、東京生まれ。東京芸術大学美術学部芸術学科専攻科修了。川村学園女子大学教授。元東京芸術大学教授。千葉大学名誉教授。専門は西洋美術史、表象文化史、ジェンダー史。主な著書に「マニエリスム芸術論」「隠された視線」「象徴としての女性像」など多数。

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