旧日本軍が運営した「慰安所」
清津で建物跡また発見、従対委、真相報告書
「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会(従対委)は4月18日、すでに明らかにされた旧日本軍の朝鮮駐屯羅南第19師団で行われた性奴隷犯罪と関連し、最近、咸鏡北道清津市羅南区域豊谷洞で同師団が管理、運営していた「慰安所」建物の跡がまた発見されたことについて、以下のような真相調査報告書を発表した。
日本帝国主義は朝鮮占領時期、当時の羅南市豊谷 (現在の清津市羅南区域豊谷洞第18〜第22人民班)に「慰安所」を設置した。 日本軍部は、朝鮮駐屯羅南第19師団編成当時から同所に日本の軍人を相手にする「遊廓」を日本人業者に建設、運営させ、1930年代中葉から侵略戦争の拡大とともにこの豊谷に将校および兵士用の「慰安所」と診療所を備えた「慰安所」部落1カ所を作った。 この「慰安所」は主に日本軍が使用し、ほとんどが軍部の承認をえて日本人業者が設け運営していた。 当時、豊谷「慰安所」で性奴隷生活を強いられた女性は平均年齢15〜30歳ぐらいの朝鮮女性で、そのほとんどが京畿道、全羅道、慶尚道など南の地域から連行されてきた。 彼女らは朝鮮語の会話、外出をいっさい禁止され、「慰安所」の規律に服従して生活しなければならなかった。 日本軍の性暴行によって殺害されたり、恥ずべき「慰安所」生活に耐えられず自殺する女性も少なくなかった。 豊谷「慰安所」は形式上、民間業者によって運営されていたが、完全に軍部が管理、統制していた日本軍「慰安所」だった。 とくに豊谷「慰安所」の入り口に派出所を設置し、憲兵が日常的に巡察するなど、「慰安所」部落に対する監視と統制は厳しく行われた。 これらの事実は日本帝国主義の性奴隷制が、日本帝国主義侵略軍の魔手が伸び始めた朝鮮から極秘に実施され、大陸侵略の過程で政策化されて以後、組織的に強行されていったことを示している。(朝鮮通信) |