平壌の汽笛よ、ソウルへ届け

朝鮮訪問記 ― 梁進成


 私がウリナラを訪れるのは88年以来2度目のことである。目的は平壌に住むヒョンニム(兄)とその家族に会うことだ。今回はそのほかにも在日同胞福祉連絡会の人たちと交流すること、そしてウリナラの人たちに障害者に対する理解を深めてもらう、という大きな目標があった。

 とくに印象に残った2つのエピソードを紹介したい。

 まずは平壌入りして3日目の早朝に訪れた駅での出来事である。

 ホテルで同室だったヒョンニムに誘われ散歩に出たのが6時過ぎのこと。鉄道好きの私の希望で平壌駅へ。通勤する人々を見ながら駅舎に入ってみる。平壌駅を見られただけでも満足しなければならないが、できればホームに入って列車の音を聴きたいとわずかな希望を抱いていた。そんな心情を察してくれたヒョンニムは、切符売り場の職員に案内してもらえるよう交渉してくれたのだった。

 北京行きの国際列車が発着する平壌駅は、日本で言う成田空港のようなもので、厳しい警備の下に置かれている。

 だが、その職員はすぐに改札係とおぼしき人に連絡をとり、私たちを通すよう手続きしてくれた。

 高鳴る胸を抑えつつ平壌駅1番線に足を踏み入れる。整備された清潔なホームの様子が足から伝わって来た。線路から70センチくらいの場所には、視覚障害者に危険を警告するための点字ブロックも存在していた。

 それらに感心しているとタイミング良く左手から列車がゆっくりと接近して来た。

 「カタ、コト」。レールを刻む車輪の音がまるで鼓動のように迫ってくる。電気機関車が私たちの前を通過しようとしたその瞬間、思わぬことが起きた。

 案内してくれていた駅職員が乗務員に向かって「キジョッソリ、ネラー(汽笛を鳴らせ)!」と叫んでいたのだ。程なく私の耳には「ポアーン」という駅構内いっぱいに響く長い汽笛が飛び込んで来た。感動は頂点に達し、涙がほおを伝う。

 今この時平壌駅ホームにしっかりと足を置いている。いつの日か「平壌発、ソウル行き」の統一列車に乗ってみたいという大きな夢が私の全身を包んでいた。

 列車が通り過ぎた後も停車中の客車やレールに触れる機会を与えてもらった。

 このほかにも平壌の街中で数々の人々の優しさに接する機会があったが、これらは本来ウリナラの人々が持ち合わせている普遍的なものであろう。

 一方でこんな出来事もあった。平壌滞在初日に訪れた万景台でのこと。私が感極まって銅像に触れてしまったことで、警備をしていた学生と福祉連絡会の数名の人たちとの間で話し合いがもたれた。「見えないからと言って触ることは許せない」というのが学生の主張らしい。

 私の不注意から周りの人々を不快な気持ちにさせてしまったこと、そして気軽に触れることの許されない苛立ちとで私はしばらく悩んだ。しかし、冷静になって考えてみれば、あのいさかいは互いの民族心の表れであり、ひいてはスリョンニム(金日成主席)に対する思い、と言う点では共通していると思えるようになった。

 ウリナラでは障害者、とくに知的障害や先天的障害者に対する理解はまだまだ低く、設備の遅れなどがあることは否めない。

 だが随所で受けた人々の優しさを思う時、障害者に対する正しい理解がなされたならば福祉の水準は相当高いものになると私は確信した。今こそトンポとウリナラの人々が手を携え、障害者の暮らしを充実させるチャンスが到来していると思う。そんな活動に私もぜひ携わって行きたい。

 次回ウリナラを訪問する時にはウリマルが話せるようになり、甥たちとこのような討論もしてみたい。

 土の匂いのする地下鉄、そして大同江の流れ、「カチカチ」と鳴くカササギ、きれいな空気が充満する平壌を今、懐かしく思う。

 最後にこの旅を実現するためにご尽力、サポートしていただいた方々、そして私たちの要求を目一杯叶えてくださったウリナラの人々に深く感謝したい。(リャン・ジンソン、36、視覚障害者)

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