「朝鮮半島のパヌジル(針仕事)」
李玉禮と仲間たち展
朝鮮半島に古くから伝わるパヌヂル(針仕事)を通じて、民族の伝統文化に触れ、それを「在日」の後世に伝えていきたい――。そんな思いから、兵庫県尼崎市在住の李玉禮さん(74)は数年前から同胞女性らを対象に開かれる縫い物教室で、パヌヂルの指導にあたってきた。18、19日、京都市上京区の京町屋で開かれた「朝鮮半島のパヌヂル(針仕事) 李玉禮と仲間たち展」(=ブライダル企画ノアナ主催)は、そんな在日1世の李さんと、京都教室の受講生らによる作品展だ。
閑静な住宅街にある古い家屋を利用して催された展示会には、子守りをする少女、機織をする女性たち、ノルティギ(シーソー)で遊ぶ子供、麦を打つ男たちなど、朝鮮の懐かしい風景がよみがえる愛らしい人形50体と、ポジャギと呼ばれる朝鮮固有の包装布など約100点が展示された。 講師の李さんは、日帝統治下の全羅南道生まれ。民族文化抹殺政策の最中、その苦痛を身を持って体験している。渡日後は民族学校で教鞭をとり、日本で生まれ育つ在日の子供たちに、民族の誇りと文化を伝えるため力を注いできた。 人形作りをはじめたのは1994年頃。祖国を訪問する朝高生らのおみやげになればと、朝鮮の主婦たちにマスコット人形の作り方を教え、それを商品として売り出した。展示会では、朝鮮の主婦たちが作ったベッドカバーやマスコット人形なども販売された。 「パヌヂルは、針仕事であってそれだけではない」と李さんは言う。ここには、針と糸をもって、世代を超えた十数人の同胞女性たちが、時間をかけて作品を仕上げていく過程が込められている。 「1世が死んでしまったら、祖国や民族、伝統文化を誰が教えられるの。たとえ修学旅行で祖国へ行ったとしても、たとえ故郷訪問へ行ったといても、2世、3世たちにとってそこは、土も違えば空気も違う所。キムチを食べて言葉を話してもそれだけではいけない…」と李さんは言う。 日帝36年の悲劇を繰り返してはならない、日本の地で民族性を取り戻すために、血のにじむような苦労をしてきた「1世のホンマモン」を伝えるため、李さんは退職後も励んでいる。 その思いは、共にパヌヂルをする在日の若い世代にも受け継がれている。 李さんの愛弟子であり、最年少受講生の沈有希さん(24)は在日4世。以前から朝鮮の服飾物に興味があり、本や雑誌を見ながらチャレンジしたこともあるが、決められたいくつかのパターンを組み合わせて作るパッチワークとは違い、設計図のない朝鮮のポジャギ作りには四苦八苦した。 「昔の人は端切れを使って、このようにポジャギを作ったんですね。すばらしいですよ。実際、李先生に教わってみると、針の持ち方から運針の仕方まで、日本のものとはまったく違う」と沈さんは話す。 「ポジャギはもともと四角や三角などの端切れをつなぎ合わせて作るもの。でも沈さんはそこに曲線を取り入れて現代風にアレンジ。昔はなかったものですね」と、李さんは新たな試みを評価する。 「同じ物は2つとない」と言う人形は、綿と木綿から出来ているが、農民たちが麦を打つ姿や、女性たちが糸を紡ぎ、縫い物をする姿などは何ともいえない愛らしさと愉快さで、見る者の心を和ませてくれる。まさに耳を澄ませば威勢のいい掛け声や歌声が聞こえてきそうな感じである。 「これはまだまだ未完成。富豪、両班、貧民、下人など、4つに分けて昔の朝鮮の人々の生活を再現しようと思っている」と李さんは言う。衣装や小物、髪型まで、工夫は細部にまで及んである。 「これからもしっかりと李先生にパヌヂルを習って、在日の5世、6世にも伝えていきたい」と沈さんは言う。NHKなどでも放映され、2日間の来客数はなんと480人。「10人来れば良い」と言っていた李さんの予想をはるかに上回る盛況ぶりだった。 文化はお金で買えないもの。「日本の人が、異文化に触れたい思いから、こうした装飾品をただ飾りたいと思うのと、日本で生まれた2世、3世たちが、1世の話を聞きながら、一針一針自分の手で縫い進むのとではわけが違う」と李さんは言う。「ホンマモン」を伝えるため、李さんと仲間たちの針仕事は今後も続く。(金潤順記者) |