「同時代史学会」創立準備大会 東京で開催

シンポジウム サンフランシスコ講和50周年を考える


 戦後日本の歴史的研究を共通の基盤とする新たな知の集団を設立するために、4月27日、東京・豊島区の立教大学太刀川記念館で「同時代史学会設立準備大会・準備総会」とシンポジウム「サンフランシスコ講和50周年を考える」が開かれた。

 学者、ジャーナリストら153人が参加したシンポジウムでは、筑波大学・進藤栄一教授が発起人を代表してあいさつし、東京大学・伊藤正直教授が総合司会を、一橋大学・森武麿教授と獨協大学・福永文夫教授が司会進行役を務めた。

 あいさつで進藤教授は、改めて戦後と民主主義の意味を踏まえながら、今日それを問い直していかなくてはならないと述べ、「歴史とは過去と現在の生き生きとした対話だ」という歴史家E・H・カーの言葉を引用しながら、広く世界に向けて開かれた国際社会の視野の中で、上から見下ろしたものではなく、市民の目で、未来に向けて開かれなければならないと話した。

 この日行われたシンポジウムでは、関西学院大学・豊下楢彦教授が「安保条約の原点と現点」について語った。

 豊下教授は、サンフランシスコ講和50周年は、同時に日米安保条約50周年の歴史であることについて触れながら、安保条約をめぐる政治・論壇変遷の配置を図入りで解説。さらに現在の朝鮮半島問題、台湾危機問題、昨年9月11日のNY同時多発テロ事件などと関連して、日本の軍事的リアリストへの「移行」が進められていると述べた。

 日本は第2次世界大戦後、国連の名の下に米国の占領下に置かれ、サンフランシスコ講和によって平和国家化、非軍事化、民主化することを方針としたが、米ソ冷戦時代の到来とともに、日米安保体制に基づいて、米国のアジア戦略基地としての役割を果たしてきた。

 豊下教授は、米国から自立できないままでいる日本の実状について「安保を取っても講和を取っても、外交の不在を指摘せざるを得ない」と話し、冷戦終結後の現点において、吉田ドクトリン・講和条約の最大の欠陥点として「アジア外交の不在」、独自外交機軸の欠落を批判した。

 また、豊下教授は、互いの「価値観」論、不戦関係の構築、朝鮮半島および中国問題の解決にも取り組む必要があり、これらが今後の日本アジア外交において大きな批准を占めるであろうと予測した。

 シンポジウムではまた、成城大学・浅井良夫教授が「『日米経済協力』構想と経済自立」について報告し、コメンテーターとして、外交・アジア・文化の視点から、立教大学・李鍾元教授、電気通信大学・安田常雄教授らが発言した。

 李鍾元教授は、「戦後日本のアジア外交の不在は、50年を経て今日まで継続されてきたものである」と言いながら、その不在、欠落が、戦後日本の積極的、戦略的選択によるものであったこと、また、日本が日米の機軸に沿った経済復興、再生を後押しするために、朝鮮などの「脅威」を利用してきたと指摘した。

 また、安田教授は、大衆文化の視点から「サザエさん」「まっぴら君」など戦後の漫画を示しながら1955年以降、大衆文化においても社会性、政治性を含んだ作品が姿を消すようになったと語った。

 会場参加者と報告者、コメンテーターの間で質疑応答も行われた。

 会場からは「1950年代において(日本と)南北朝鮮との国交正常化の可能性はあったのか」との質問も寄せられたが、これに対し李鍾元教授は、分断国家のそれぞれと国交を結ぶことは、当時非常に困難なことであったと話しながら、しかし当時から日本は朝鮮半島の問題に対して非常に消極的で、アジアとの長期的なシステム作りに対してもその発想自体が欠如していたことを指摘した。

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