「韓国」女性運動の指導者

李愚貞さんを悼む


 南朝鮮の女性運動の開拓者であり、女性神学運動、労働運動の先駆者だった李愚貞さんが、5月30日、ソウル市内の病院で死去した。享年78歳。李さんは生涯を踏みにじられた人たちの権利獲得のために捧げた。90年代には、東京、ソウル、平壌で分断の壁を越えて南北朝鮮と日本の女性たちで「アジアの平和と女性の役割」シンポジウムを開くなど、祖国統一をめざす運動にはかりしれない貢献をした。

「統一願い共に闘った幸せ」 清水澄子

 李愚貞さんの突然の死を今も私は信じられないでいる。

「アジアの平和と女性の役割」シンポで握手を交わす李愚貞さん、清水澄子さん、呂燕九さん(91年5月、東京)

 私と李愚貞さんとの直接の出会いは、韓国の軍政が民政に転換し始めた1987年8月、韓国から初めて彼女が原水禁世界大会に参加したときである。2人はKCIAの目を警戒して長崎湾の船上で話しあった。彼女は「金日成主席のこと、北の同胞のことを聞かせて!」「日本で北の同胞、呂燕九さんと会える場を作って。あなたならできる」と私の手を握った。私は民族の熱い思いにゆり動かされた。

 そして2人で知恵をしぼったのが「アジアの平和と女性の役割」実行委員会であった。

 1991年、分断40年を経て初めて南北の女性が東京で出会いソウル、平壌へと往来が実現した。李愚貞さんは日帝の慰安婦狩りから逃れてカナダに留学した。敬虔なクリスチャンであるとともに韓国の民主化と南北の統一に向けて朴軍事独裁政権と真正面から闘ってきた女性運動家でもあった。

 温好な笑みの影でくり返された投獄が体を蝕んでいったのだろうか。来年には北京で北東アジアの平和について集うことを約束しあっていただけに無念の思いがこみあげてくる。でも私は韓国に同じ志を燃やしあった友がいたことを幸せで誇りに思っている。李愚貞さんありがとう。

 きっといま頃、呂燕九さんと手をとりあっておられることであろう。私たちはお二人の意志をわが心に「分断を終わらせる」ために闘い続けることをここに誓ってご冥福を祈る。(「アジアの平和と女性の役割」実行委員会委員長)

記憶に鮮やか平和への意志 関千枝子

 私は李愚貞先生を直接存じあげない。追悼文を書くにはふさわしくない人間と思うが、先生のスピーチで感銘を受けた思い出がある。これを伝えたくて筆を取っている。

 1999年の2月に東京ウィメンズプラザで「女たちがズバリ語る、朝鮮半島の平和と日米新ガイドライン」という集会が開かれた。

 このころ、ガイドラインとその関連法に反対する集会は数多く開かれていたが、これは朝鮮半島の女性たちがガイドラインをどう見ているかが語られた異色の集会だった。この集会に李愚貞さんは、「韓国・平和をつくる女性会」の首席代表として参加された。

 韓国のメインの講演は同会の共同代表・金允玉さんがされ、「日本はアジアの加害者にならないでほしい。日米ガイドラインでなく女たちのピースラインをつくろう」とよびかけた。そのあと李さんのスピーチがあった。10分か15分か、短いもので、静かに淡々と語られたが、李先生の生涯をかけての活動、思いが濃縮されているような気がした。

 戦時中、植民地だった朝鮮で、日本人の行く女学校で学んだ李さんは、女や夫や子どもを喜んで兵士として国家に捧げ、戦死は名誉で、涙を見せてもいけないと、天皇制・軍事主義教育を受けた。「サムライ文化、なんと恐ろしい国と思った」。

 戦後、軍事独裁政権がつづいた韓国で、李先生は民主主義を求めて激しい運動をつづける。投獄されたこともあると聞く。「日本は平和憲法を持ち、戦争を放棄し、非核三原則を国是とする国になったということを知った。なんともすばらしい国になったことか。うらやましいと思った」。私は「慰安婦問題」などで、韓国の方の話を聞き取材することは多いが、韓国の方から日本国憲法についての意見を聞くのはこれが初めてだった。私は日本国憲法9条(戦争の放棄)は、あの戦争を起こした加害の罪の謝罪であり、その反省の上に立った不戦の誓いと思っているが、アジアの人々の平和憲法観を聞いたような気がして、胸にこみあげてくるものがあった。

 スピーチの終わりは、ガイドライン関連法などを出す現在の日本に対する懸念だった。「やはり日本人は昔どおり恐ろしい国だったのかと思わせる」。「しかし私は、日本の友人たちに期待している。平和は努力してつくるものだ。互いに全力を尽くしましょう」。李先生の話は深く胸にしみいり、今もあざやかに記憶に残っている。

 あれから日本は「戦争のできる国」に向かいまい進している。有事法制、小泉首相の靖国参拝…。そして「政府首脳」の口から非核三原則の見直し論まで飛び出した。李先生は最後まで心配されていたのではないだろうか。「日本の友人」は李先生の期待に添えるだろうか。全力を尽くすことを誓うだけである。(ジャーナリスト)

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