ウリ民族の姓氏−その由来と現在(70)

歴史古い延氏、多士済々の兪氏

種類と由来(57)

朴春日


 延氏は稀姓の上位で、33の本貫を持つ。主な本貫は谷山・開城・広州・南陽・忠州・徳山である。

 延氏の歴史はかなり古い。紀元前277年に成立した高句麗の始祖王・高朱蒙(コ・ジュモン)の義父が延陀渤(ヨン・タバル)であった。

 彼は卒本(中国・桓仁県一帯)の大土豪で、その娘・召西奴(ソソノ)が朱蒙の王妃となり、高句麗建国に大きく寄与した話は有名である。

 また高句麗の大将軍・延武は、新羅の将帥・薛烏儒(ソル・オユ)と2万の精鋭を率い、敵軍との決戦で大きな戦果を挙げた。

 高麗時代には、延鶚(アク)という人物が西京(平壌)に初めて学校を設立し、政府の協力をうけながら学問興隆の祖と讃えられた。

 李朝時代には、延嗣宗(サジョン)が開国功臣となり、延忠秀は壬辰倭乱のとき、義兵部隊を組織して勇名を轟かせている。

 つぎに兪氏である。

 兪氏は著姓の中程に位置し、本貫数は8。主な本貫と始祖は、杞溪(キゲ)・兪義臣、昌原・兪渉、仁同・兪成烈、高霊・兪甫、務安・兪千遇、長沙・兪舜稷(スンジク)、川寧・兪公守、康津・兪迪(チョク)で、新羅・高麗・李朝時代の文・武官が多い。

 兪氏は多士済々である。まず杞溪兪氏を見ると、兪孝通は高麗医学者で、有名な盧重禮とともに、薬用植物に関する名著「郷薬集成方」を編纂した。

 李朝初期の兪應孚(ウンブ)は、首陽大君の王位簒奪を糾弾し、同志らと端宗の復位を画策したが、裏切り者の密告によって失敗。「死六臣」の1人となった。

 兪汝霖(ヨリム)は杞溪兪氏の中興の祖で、この一族は李朝中期に名をはせた。彼の弟・兪汝舟は学者で名筆家であったし、その息子の兪大建と兪大逸は高官として活躍した。そして兪大逸の子・兪伯曾(ペクジュン)は、暴君を倒した政変「仁祖反正」で功臣となった。

 また兪榥(ファン)・兪撤兄弟は文官として、兪棨(ゲ)は名臣として知られ、兪撤の孫・兪拓基は領議政を務めたが、金石学の権威でもあった。

 さらに、詩文をよくした兪彦民、知中枢府事を務めた兪彦述、篆書(てんしょ)と隷書体の大家・兪漢之、名文章家の兪漢雋(ハンジョン)、性理学の大家・兪辛煥、草書の名人・兪昌煥、開化運動家の兪吉濬(キルジュン)など、歴史に名を残した人物が多い。

 昌原兪氏では、国防に尽力した兵曹判書の兪得一、鬱陵(ウルルン)島と独島の領有権を主張した工曹判書の兪集一が、また仁同兪氏では、文人として兪升旦(スンタン)が知られている。

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 これで単姓(一字姓)を終わり、次号は複姓である。 (パク・チュンイル、歴史評論家)

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