6.15共同宣言2周年記念アリランコンサートと講演「アリランの主題による変奏曲」集
「民族の魂揺さぶる響き」
在日同胞作曲家・金学権さんが語る
6.15共同宣言発表2周年を記念して、14日、東京中央区の第一生命ホールで「アリラン」コンサートと講演「日・朝・韓の作曲家による『アリランの主題による変奏曲』集」が開かれ、約400人が観覧した。民族自主の理念のもと、わが民族同士手を取り合い、祖国統一を実現しようとする北と南、在日音楽家たちの強い意志を受け止めて、林光、池辺晋一郎さんをはじめとした日本の著名な音楽家たちがともにしたこのイベントでは、在日同胞作曲家・金学権さんが朝鮮民謡「アリラン」について講演を行い、北、南、在日の作曲家たちが「アリラン」をテーマに作った曲と10人の日本人作曲家たちの合作による「アリラン変奏曲」が、林田賢、寺嶋陸也さんのピアノ演奏で披露された。
金さんはまず講演で「アリラン」がいかに南北の民衆に愛唱され、大切にされているかをさまざまなエピソードをまじえて語った。「1991年、千葉の幕張で開かれた第41回世界卓球選手権大会をはじめ、分断後統一チーム出場が実現する際、双方の間では、名称、団旗、団歌、選手選抜などを巡って色々な折衝があった。しかし、不思議と団歌に対しては1分もかかることなく『それで行きましょう』と決まった。統一チームの優勝、シドニーオリンピックの合同入場行進のときにも流れたアリランは、わが民族を象徴する歌として世界中に響き渡った。民族悲願である統一の問題を『アリラン』というひとつの民謡から迫っていくのも意味があると思う」。 金さんは続いて、南北で盛んなアリランの研究成果について紹介しながら、「古文書を見ると、アリランが楽譜として世に出たのは1800年代末から1900年代にかけて。1500年代に書かれた『甲乙歌』にある『アリリョン』という言葉がおそらく文書で探せる最古のものだ」と指摘。金さんによれば、朝鮮の民謡「アリラン」は、長い歳月をかけて大衆の生活に最も密着した、労働と民間宗教的な要素と深い関わりをもって、朝鮮東部から西へと伝わったと考えられる。また、これらは当時の大道芸人が持ち歌として各地に散らばり、その土地の方言に融合し変形され、まったく新しい形に生まれ変わったものであるとも考えられる。そうして全土に広まった「アリラン」は、朝鮮全土に約170ほどあるが、それらは海を越えて、日本の民謡にも影響を及ぼしたという。 では、統一チームの団歌としても歌われる1番ポピュラーな「アリラン」はどのように定着したか。金さんはこう語った。 「それは、あのアリランがわが国初の映画監督、羅雲奎の映画『アリラン』のラストシーンに流れる曲だというところにある。1926年10月1日、おりしも日本による朝鮮総督府の落成式が行われた日に封切りされたこの映画は、亡国の民の反日意識、独立を取り戻そうという民族の気概を示すものであったため爆発的にヒットした。アリランが流れるラストシーンに民衆は泣き、歌はフィルムと一緒に全国を回り2〜3年の間に全国に普及した。その後朝鮮総督府により、映画の普及は禁止されるが、アリランのメロディーはわが民族の魂の奥深くに深く刻まれた」 小野陽子さん(主婦・49)は金さんの講演を聞いて「今日のコンサートやワールドカップなどを見ていると、日本と朝鮮半島の関係がめまぐるしく変化してゆくのを感じます。しかしその反面、戦後補償や教科書問題など解決されていない問題も多い。表面だけではなく、真の和解と友好を考え直さなければならないと思いました。アリランの歌が私にそんなメッセージを伝えてくれました」と話した。(金潤順記者) ○アリラン峠○ アリラン アリラン アラリヨ/アリラン峠は どこにある?/アリラン アリラン アラリヨ/アリラン峠は 十二の峠/雲も休み休み超えると言う/アリラン峠はどこにある? |