朝鮮の食を科学する(6)
民族の知恵いっぱいの冷麺
ソバ粉とデンプンの麺「コシ」がポイント
これからの季節は冷麺がおいしい。この冷麺にはすばらしい民族の知恵が込められている。まず、どうして麺が冷たいのか、材料のそば粉は練っても細長くするには切るか、押し出すしかない。粘弾力のある小麦粉のソーメンやラーメンのように引っ張り伸ばせない。
押し出すのをスムーズにするのにはデンプン質を混ぜると良い。これに適したのが緑豆(りょくとう・ノットゥ)の粉で、さらさらした特質は型枠に詰めて押し出し成型するのを容易にしてくれる。成型したのがすぐにほぐれないよう熱湯で待ち受けて直ちにゆで麺に仕立て上げる。これで細長い麺ができ上がるが、これを直ちに冷水にさらすことで麺に「コシ」が出る。麺類の生命はコシ、つまり歯ざわりに弾力を感じさせるところにある。コシの出た冷たい麺を温かいスープでいただくことは、この麺の特徴をなくしてしまう。冷たいスープがあれば、この特徴を生かせる。 ほどよい塩味と適度の酸味 キムチのところでふれたが、古い時代のキムチの「冬沈」(トンチミ)は水分たっぷりの水(ムル)キムチであった。ほどよい塩味と乳酸発酵の適度の酸味が、そのキムチ汁の特徴であった。冬には朝鮮の家庭では、必ずこのキムチが常備されていた。 このキムチの汁を冷たい麺のスープにしていただくというのが、家庭で麺をつくりいただくときの組み合わせであった。 冷麺材料のそば、緑豆は秋の収穫物であり、冬に利用される、冬沈も冬の食べもの。この条件を満たしてくれるのが、冬の温突房(オンドルバン)の生活である。屋外の寒さはきびしいが、屋内の温突生活は暑いくらいだし、さわやかな冷たい食べものが求められる。この生活に冷麺の1杯が役立ったのである。冷麺とは「冬の歳時食」(セシシッ)として、旧暦の11月に食べる慣習になっていたごちそうそのものだった。 今でこそ夏の暑さの中でいただくのが、冷麺のだいご味とされるが、これは材料が自由に得られるところから来たものである。 むかしの冷麺材料のそば粉と緑豆は、いまは小麦粉も使われるし、緑豆のデンプン質に代わってジャガイモ、トウモロコシなどのデンプン質が使われている。 また細長く成型するのも木製の押し出し器ではなく、電動機械で押し出せるので、各種の粉類の混合比もさまざまなようである。でも冷麺の基本は、そば粉とデンプン質粉を練ったものであり、押し出し法でつくるというところには変わりない。 麺(ミョン)のことをクッスと呼び、同じ意味に使われているが、本来は違ったものだった。高麗に滞在した中国の使臣、徐兢の書いた「高麗図経」(コリョトギョン)に麺食という字の出るのが最初である。しかし、この時代の中国では麺とは小麦粉をさしたものだった。19世紀初の朝鮮の文献「雅言覚非」では、「中国では麺とは小麦粉を指し、わが国では眞末(チンマル)という。その後中国もわが国も『麺』とはクッスのことで材理名としているがこれはまちがっている」と指摘している。麺とはむかしは小麦粉を指していたがやがて、それからつくられるものをも指し、麺もクッスも同じ意味になったようだ。 クッスは「掬水」か ではクッスはどんな意味なのか、「掬水」(クッス)という漢字がそれではないかとされている。水から掬い上げるという手順を表す材料名だというのだが……妥当と思われるが辞典などには出てこない。 冷麺で有名なのは平壌冷麺だが、19世紀初の「松南雑識」という書に「杜甫は槐葉冷陶」という話を残し、東坡の詩には「槐芽麺」があるが、これはこんにちの平壌冷麺に似ているとあるのがきっかけである。 咸興(ハムン)冷麺の代表に膾(フェ)冷麺がある。膾(フェ)つまり「さしみ」のことで、材料にはスケトウダラ(ミョンテ)、マダラ(テグ)、イイダコ(ナッチ)、赤エイ(カオリ)などがよく使われる。 平壌、咸興とも冷たい麺の「コシ」が味のポイントである。そば粉とデンプン質でつないだ麺こそ、本場の冷麺の味といえるだろう。(滋賀県立大学教授) |