春・夏・秋・冬

 昨今、朝鮮でこの歌を聞かない日はないと言われる「ウリヌン ハナ(われわれは一つ)」。その2番の歌詞に「言語も一つ」という文句がある。それを実感したのが、6月中旬に金剛山で行われた6.15民族統一大祝典だった。北と南だけでなく、日本、米国、カナダ、ドイツ、中国、ロシアなど世界各国からの参加者が、同じ言語を話すおかげで、すぐに打ち解ける姿を目の当たりにしたからだ

▼一見当たり前のことのようだが、もし言葉が通じなければ意思の疎通がまったくできないのだと思うと、言葉の大切さを改めて感じた。そして、日本で民族教育を守り続けてきた1、2世たちにおおいに感謝した。実際、大祝典の現場で南の記者から取材を受けた際、日本にいるのになぜそんなに言葉が話せるのかと聞かれた。「一貫して民族教育を受けてきたから」と答えながら、とても誇らしい気持ちになった

▼ある在米僑胞は、「民族教育の重要さを痛感している」としながら、そのために土曜児童教室のような場を意識的に設けているという。ここでも、在日社会での経験が生かされているのだ

▼とは言え、民族教育は単に言葉だけを習得する場ではない。そのためだけなら、語学学校でも学べる。大切なのは、民族性を養うということ。言葉はもちろん、民族の歴史や風習を、肌で覚える場所――それが、ウリハッキョ(朝鮮学校)や土曜児童教室、青年学校、民族学級、留学同のウリマル教室など、民族教育の場だ

▼だからこそ、そこで学んだことは、いつまでも体に染みついているのだ。(聖)

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