明るくなった市民の表情

京都文化交流訪朝団副団長 上田昇さんに聞く


 6月1〜5日にかけて、京都文化交流訪朝団(団長=水谷幸正・仏教大学理事長)が朝鮮を訪問した。訪問中、64人のメンバーらは平壌市内や妙香山、開城市などでの観光のほかにさまざまな分野での交流を行った。訪朝の総括と感想を、副団長を務めた上田昇さん(69・会社役員)に聞いた。

 ―4泊5日の訪朝期間、どうだったか?

 観光は観光でしながら、さまざまな分野での交流を行った。日朝仏教友好協会の大田秀三会長をはじめとする仏教徒と、朝鮮仏教徒連盟の僧侶らとの合同慰霊祭、金日成総合大学と仏教大学の交流会、開城市にある霊通寺の復旧事業の促進、京都国際工芸センターの岸本康志事務局長一行と朝鮮の陶芸家たちの交流、それに京都市と開城市の交流問題なども話し合われた。

 ―訪朝団メンバーの感想は?

 「日本で喧伝されている朝鮮とは違う」「びっくりした」など、おおむねの感想はいいものだった。また、交流を行った各セクションでも、「交流できてよかった」と話していた。

 今回の訪朝団メンバーのほとんどは、朝鮮を初めて訪問した人たちで、いい意味で朝鮮に対する認識を改めたのではないか。

 ―6回目の訪朝と聞いているが。

4泊5日の滞在期間、さまざまな交流を行った京都文化交流訪朝団

 まず5、6年前に比べ、朝鮮の人々の表情が明るくなったと思った。2000年6月15日を境に、平和を目指しているためか心にも顔にも安心感が満ちていた。

 一方で、米国に対する憎しみとともに、日本に対する憎しみが増したように見えた。

 朝鮮の人々は、「なぜ日本政府は米国に追従するのか」という疑問をよく私たちに投げかけた。彼らの話を聞いていると、日朝の間では情報交換が不足で、お互い誤解の上に誤解が積み重なっているように感じた。

 また、訪れるたびにいつも思うことだが、他の東南アジア諸国と違い、朝鮮の人々は旅行者を珍しがって寄ってきたり、旅行者に恐怖感を与えるような行動はまったくしない。この間私は、毎朝3時間ほど散歩がてら1人で平壌市内を歩いてみたが、恐怖感というものは一切感じなかった。

 同時に、日本で忘れられてしまったお互いを助け合う心を朝鮮の人たちが持っていることを感じる。

 ―朝鮮の国花、オオヤマレンゲを自宅で栽培しているそうだが。

 朝鮮との交流を始めたのがおよそ15年前。95年の日朝友好文化フェスティバルなど色々な交流をしているうちに、朝鮮の国花がオオヤマレンゲだということを知った。

 もともとそういうものに興味があったので、方々を探しているうち、6、7年前に家内がどこからかもらってきた。昨年はじめて花が咲き、今年は満開になった。

 それで、漆芸作家に頼みこのオオヤマレンゲを蓋にあしらった宝石箱を1カ月かけて作ってもらい、今回の訪朝の際、金正日総書記へのプレゼントにした。

 ―今後の抱負は?

 6.15共同宣言は、朝鮮半島情勢が平和に向けて大きな1歩を踏み出したという証だ。こんな時に、日朝間で宣伝合戦をしているようでは駄目だと思う。

 朝鮮は日本にとって、さまざまな面で先輩国だという共通した認識のもとで、ことを進めていかなければならないのではないか。

 これからも、今までのように文化交流を通じた日朝間の真の和解を目指していきたい。また、今回の訪朝団で一緒になった若い世代がこれを機に朝鮮半島への関心を持ち、日朝友好の道幅を広げていってくれればと思っている。(李松鶴記者)

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