1人で何役 喜びも倍に

金剛山歌劇団の舞台裏


 今年も日本各地で金剛山歌劇団の巡回公演が行われている。艶やかな朝鮮舞踊と民族情緒あふれる歌声、そして民族楽器の音色…。

 同歌劇団内の団員のほとんどは3、4世の若者たち。民族教育を受け、民族芸術を担う若手団員たちの思いと彼らを陰で支える人々に話を聞いてみた。

古典に学ぶ

混声2重唱「愛の歌」(右が全明華さん)

 入団4年目の全明華(23)さんは「学生の頃は歌劇団の舞台を見ても、うわ〜きれいだな、といったうわべだけの感覚で見ていた。でも、いざ自分が舞台に立つようになってからは、曲に合わせて作品世界の民族の生活、風習、歴史などを最大限表現できたらな、と思うようになった」と話す。

 今年の公演で全さんは、民族歌劇「春香伝」から「愛の歌」を披露する。作品の舞台は18世紀。自由恋愛の許されない時代に身分の差を越え、貴族の息子と恋に落ちた妓生の娘、春香を演じるため、全さんはビデオや書物に目を通し、歩き方から視線の運び方まで、「春香」を演じるために努力を惜しまなかった。「普段の私とは180度違うといっても過言ではないですね。男性の顔を間近で見られない時代なんですもの…。誰とでも気軽に話せる現代の私とは正反対です」と、全さんは笑う。

舞踊「馳せる想い」(1番前が孫賢淑さん)

 舞踊手の孫賢淑さん(25)は、「朝鮮舞踊を通じて、常に自分自身が何者なのかという問いを自身に向けていきたい」と話す。

 在日3世の彼女は、若い世代で薄れつつある民族意識の問題を「私も決して例外ではない」として、「踊ることで、私は自分自身を確認している」と言った。

 朝鮮大学校を卒業して今年歌劇団入りしたチョピリ奏者の李文基さん(21)は、今回が初めての地方公演。

 「舞台の上に立つことばかり考えていたので、荷物の搬入からすべての作業を自身の手で行う歌劇団に驚かされました。出演の合間をぬって照明を切り替えたり、大道具や楽器を移動したり、幕の開閉を手伝ったり…。その後また楽器を手に取って。ひとつの舞台を仕上げるのにこれほどまでに手がかかるのかってね。それでいて技量面でも手を抜けない、まだまだ力をつけなくては」。そして、地方公演を支える人々についても触れた。「ひとつの公演を準備するために地元の総聯や同胞たちがどれほど苦労をしているのか、この目で知りました。朝鮮学校のない地域では、歌劇団公演が同胞が集まる場であり、民族芸術に触れる貴重な場であることも知りました」と話した。

 先の静岡公演では、商工人らの「大口カンパ」に頼るのではなく、今年は同胞宅を一軒一軒まわり、チケットを販売して、客席を埋めた話に胸の奥が熱くなるのを覚えた。時にはキムチの差し入れや食事の世話までしてくれる。「同胞に支えられている歌劇団」を実感する一歩となった。

「チェドンム」と親しまれ

金剛山歌劇団の足、大型バスの前で(斎藤敬一さん)

 歌劇団の活動を陰で支えている「隠れた功労者」の存在も忘れてはならない。創立以来約6700回の公演を行い、約1400万人を超える観客を魅了した金剛山歌劇団の国内移動はほとんどが「バス」。その運転手を長年務めるのが、この度、朝鮮民主主義人民共和国から「親善メダル」を授与された斉藤敬一さん(64)である。長さ12メートルにもなる大型バスを24年にわたり運転し続けてきた。1年間の走行距離は地球1週の約4万キロメートル。これまで無事故で日本各地を走り続けた。

 「初めは違和感がありましたよ。言葉もまったくわかりませんしね。難しいことは良くわかりませんが、自分でもよくやってきたな、とは思います」と斉藤さんはいう。今ではすっかり歌劇団の「古株」になった彼を見て、地方都市では「まだ生きてたんかい」と声をかけてくる「ファン」もいるのだとか。

 昨年4月、初めて平壌を訪れたとき、彼には「斉藤」という日本名から「斉」の字を取って朝鮮語読みにした「チェドンム」(※トンムは「友達」や名前の後ろに付けて「〜さん」の意を表す)の愛称がつけられた。

 朝鮮に行って思うことは「日本で言われているような悪い国じゃない」ということ。歌劇団と行動をともにしながら、各地でオモニたちの手料理もずいぶん食べた。同じ「さばの煮込み」でも、朝鮮と日本では味のつけ方が全然違う。「そろそろ年だし、代わりの運転手が早く育ってくれれば」というのが斉藤さんの望みだ。

 人と人の心を結んで歌劇団の地方巡回公演は続く。(金潤順記者)

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