「写真で見る民族教育の歴史」-3


 1948年1月、米国の「共産主義封じ込め政策」により日本の軍事基地化が露骨になるなか、日本政府は「朝鮮人学校取扱要綱」を都道府県知事に通達した。これは朝鮮学校の設立、つまり朝鮮語による教育の実施を認めず、日本の学校で日本語の授業を受けることを強要するものであった。まさに、日本の植民地支配時代の「朝鮮教育令の復活」であり、朝鮮人を解放民族として認めないという不当な措置だった。これに対し在日同胞は各地で反対闘争にたち上がり、民族教育の実施を求めた。(写真=神戸市湊川新開地でデモ行進する同胞たち。49年4月)

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