閑話休題

朝鮮の名宝たち

美意識、伝統の意味振り返る


 上野の東京国立博物館で「韓国の名宝」展(6月11日〜7月28日)を見た。

 「先史・三国」「仏教美術」「高麗青磁」「朝鮮陶磁」「絵画・書跡」「宮廷・両班」の6つのテーマに分けられた展覧会は、朝鮮の悠久の歴史と文化を堪能させてくれた。祖国の分断が影を落とし、高句麗のものがほとんどない、という不十分さはあったが…。

 中でも観客のため息を誘ったのが新羅時代の国宝「金冠」「帯金具」「冠帽」などの純金製の豪華絢爛たる副葬品の数々。夏休みで膨れ上がった観客らが、ガラスに顔を寄せ、凝視するので、ガラスには指紋がくっつき、長蛇の列もなかなか前に進まない。見るまでがひと苦労だったが、息をのむ素晴らしさだった。

 「金冠」に代表される黄金の輝きばかりではない。12世紀後半に全盛期を迎えた高麗青磁の「翡色」と称された名品の造形美。その類まれな美しさを表現する術がない。大らかで女性美の柔らかな曲線を思わせる丸みをおびた壺などは、許されれば、ひがな一日眺めていたい逸品だ。また、朝鮮3国時代の百済彫刻や仏教美術を見ると、知らず知らず涙が出るほどの郷愁を覚える。仏像の枠を超えた人間くさい表情としぐさ。ここに民族の心や感情の根源が秘められているような気がしたのは私だけだろうか。

 豊饒な民族文化に触れて、遥かな歴史を振り返るひととき。美意識、伝統という意味を今さらながら痛切にかみ締めた日でもあった。今は南に保存されているが、このすべては私たち朝鮮民族、いや人類の誇るべき文化遺産なのだ。(粉)

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