本の紹介

「偏見」を超えた人間の対話

「しがまっこ溶けた」 金正美著


 今年2月に放映されたNHKの人間ドキュメント「津軽故郷の光のなかへ」。草津に住むハンセン病元患者の桜井哲夫氏(78)が27歳の在日朝鮮人・金正美さん(東京都在住)とともに「らい」と向き合い、最後には悲願だった故郷を訪れる感動的な映像だ。最近、金さんは2人が歩んだ8年の月日を「しがまっこ(津軽弁で氷)溶けた」(NHK出版)という本にまとめた。

 後世に「らい」を伝えるため、「自分の顔を映像として残したい」。桜井氏のそんな思いを金さんが汲んでNHKに提案、番組の制作が実現した。

 金さんが詩人・桜井氏が住む草津の国立ハンセン療養所・栗生楽泉園を初めて訪ねたのは8年前、恵泉女学園大学に通う19歳の時だ。

 「哲ちゃん」という愛称もすっかり定着した頃、2人は「条約」を結ぶ。

 家族を持たない哲ちゃん。数年前に祖父を亡くした金さん。ハラボジと孫になることを約束したのだ。園内で結ばれた愛妻、胎児のまま命を絶つことを強要されたわが子を失った深い悲しみ、故郷・津軽への望郷の念…。寄り添い、分かち合って行く。

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 「朝鮮」は桜井氏の詩の大きなテーマだが、金さんとの出会いが新たな息を吹き込むことになった。

 桜井氏には妻・真佐子さんと朝鮮に行って果たしたいことがあった。日本の植民地時代、建設技師だった真佐子さんの父は、朝鮮北部にある鴨緑江の水豊ダム建設に携っていた。そこには強制労働に駆り出された多くの朝鮮人、中国人の姿があった。当時、家族と平壌に住んでいた真佐子さんは父同様、日本人の現地の朝鮮人に対する扱いのひどさに疑問を抱いていたという。

 いつの日か水豊ダム建設で命を落とした朝鮮人、中国人の人たちに鎮魂の花束を捧げたい。朝鮮半島に住む人々に日本人として謝罪をし、ハンセン病元患者たちともアジアの「らい者」として手を結びたい――。

 しかし、真佐子さんが26歳という若さで亡くなったことにより、その思いは長年桜井氏の胸にくすぶり続けることになる。伴侶を失った桜井氏にとって金さんの出現はまさに「50年間待っていた」(桜井氏)ものだった。2人は手を携え、朝鮮半島南部を訪れる。

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 昨年10月、桜井氏はハンセン病国家賠償訴訟で国が控訴を断念したことを契機に始まった県知事提唱の里帰り事業によって、60年ぶりに故郷津軽を訪れた。両親の墓参りや家族との再会を終え、最後に金さんと滝を見に行き、言った。

 「…嘆きを超えたい」

 「桜井哲夫」から「長峰利造」へ、そして「らい詩人」から「詩人」へ。「らい」を超えたすがすがしい姿だった。

 非人間的な法律によって尊厳を踏みにじられた人間がそれを乗り越え、より豊かに、力強く蘇生する歩み。本書は2人が向き合った8年の時間がその道を作ったことを静かに伝えている。(張慧純記者)

いのちの言葉に導かれ―著者の金さん

 金さんは園内の詩話会で桜井氏を初めて見た時、ひどい後遺症が「恐ろしかった」という。帰り際に呼び止められた。

 「…あんた、朝鮮人でしょう? …あんたはこれからいろんな問題や壁が、直接あんた自身に降りかかってくるんだから。俺はそのとき何もしてやることは出来ないんだけど、つらくなったらいつでも遊びにおいで」

 過酷な状況にありながらも他人を気遣う優しさ。感動と恥ずかしさが胸に迫ってきた。一方、自分がハンセン病元患者らを高みで見ていることにハッとした。

 施設に向かうその足は8年間、途絶えなかった。視力を失い、後遺症で点字すら読めないにもかかわらず豊かで色彩に富んだ詩を生み出す桜井氏の感受性、人間的な魅力が大きかったという。

 夏空を震わせて/白樺に鳴く蝉に/おじぎ草がおじぎする
 包帯を巻いた指で/おじぎ草に触れると/おじぎ草がおじぎする
 指を奪った「らい」に/指のない手を合わせ/おじぎ草のように/おじぎした

 桜井氏が作った詩「おじぎ草」。金さんは初めてこの詩をよんだ時、美しさのあまり言葉を失ったという。

 「らいになってよかった」――。

 自分が哲ちゃんのような境遇だったら果たしてこう言えただろうか。常に新しいステージを目指す桜井氏の姿は「さて、ちょんみはこれからどう生きるの」と問われているようだったという。

 「私が書いたというより哲ちゃんの言葉に書かされた。それほど存在そのものが命、生命力を感じさせる人だった。2人が向き合った時間、思いが同じ世代の人に伝わればうれしい」

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